人には何かしら誰かに共感してもらえる節があると思う。
学生時代なら友人や学問を語り合う学友、指導員がいたんではないだろうか。
健全な社会人なら職場に互いのスキルを高めあう同僚がいるかもしれないし、健全でなかったとしても悪友の様な存在がいたり何らかの財産的に長けた部分がある事も少なくないので気休めにもなると思う。
家庭があれば尚更。
俺には何もないので、安楽死したい。しかし現在どの国家でも精神的苦痛を考慮した安楽死を認める国家はない。
以前臓器を提供するなら安楽死させてもいいと主張する政治的思想が立ち上がっていたが、誰かの臓器として生きられるなら自分としても社会に貢献できて嬉しいし死ぬモチベーションにもなる。悪くなかったかもしれない。
「かもしれない」とか言っても俺は選挙権なんて持ってないが。
これも彼が書いたものだろうか。何故これほどまでに追い詰められているのか知りたいが、立ち入ってはならない領域のような気もする。
本当に必要なら、安楽死施設があってもいいよね。 だけど、誰かに安楽死の名の元に殺されたりしそうだから怖いな。