2009-11-20

非モテリスキー生き方

どれだけ異性に (あるいは同性に) に恋愛対象としての興味がないと思っていても、ある日突然人を好きになってしまう (というか、その人が好きだという自分の気持ちに気がついてしまう) ことはある。すくなくとも私の場合はそうだった。

さて、問題がふたつある。ひとつ目は、相手と恋愛関係を構築することは絶望的に不可能だ、ということ。私が年齢=恋人いない歴の真性非モテであり、こうした状況で何をどうすればいいのかわからない。くわえて、相手の人に嫌われている傾向がある。詳細は省くが、ちょっと素人にどうこうできる感じではない。

そしてふたつ目は、相手は職場の同僚だということ。つまり日常的に接触する機会がある。これが私をとんでもなく苦しめる。相手が道ですれ違った人とか、いきつけの飲み屋の店員さんとかだったら、いくらでも距離を置いて忘れるか、すくなくとも恋愛感情を薄めることはできただろう。しかし毎日顔を会わせざるをえないと、相手への想いはどうしようもなく強化されていく。

こうなると、もはや拷問である。自分が心底求めているにもかかわらずどうあがいても手の届かない存在を毎日見せつけられる。そして私の精神リソースはどんどん蝕まれていく。最近はその影響が仕事日常生活にも出てきた。もういやだ。

世の中に少なからずいると思われる片思い中の人たちは、こんな極限状態でどうやって正気を保っていられるんだろう。それが不思議でならない。

そしてふと思った。若いうちに恋愛経験しておくことはリスクヘッジだったんだ、と。

私に恋愛経験があれば、どう行動すればいいのか判断できたかもしれない。そうであれば、もっとも幸せな結末を迎える可能性もあった。すくなくとも、そうした希望をもって生きることはできただろう。

もし私が、例えば学生のように、人間関係を比較的簡単にパージできる (といっても、それなりに苦しいが) 立場だったら、この状況から逃げることもできし、もっと冒険的な行動を取ることができただろう。そしてそこからやり直すこともできた。しかし20代後半にもなってそれなりに社会に組み込まれてしまうと、そう簡単に人間関係を (まして、「好きな人に会いたくない」という意味不明な理由で) 切り捨てることはできない。

あるいは若いうちに失恋経験し、その痛みが、たとえ消えることはなくとも、いずれは癒されるということを実感として知っていれば、この地獄のような毎日をなんとか耐えることもできただろう。しかし今の私には、それはあまりに空虚で救いのない予測としか思えない。

恋というある日突然降ってくる致死的な厄災に対する対処法を人生の早期に学んでおかなかった、という意味で、非モテ (あるいは恋愛を避けてきた人) はリスキー生き方をしている。この苦痛はそのツケか。

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