「この世のマニュアル」を読むのと同じなのではないか。
確かにPCもケータイも、マニュアルを読まなくても、使えるといえば使える。
しかし、基礎的な操作を知らなかったり、ちょっとしたユーティリティソフトを知らなかったりする人は
傍目から見ても、ものすごく使いづらそうにしている。
そういう人を見ると「ちょっとマニュアル読めばいいのに・・・」といつも思う。
言語・物理・論理 などの知識を得られれば、世の中のしくみがずっとよくわかり、
「この世」を自分がどう「使えるか」「使うか」がはっきり見えてくる。
結果、ケータイがより活用できるように、この世をより生きやすく、より楽しむことができるようになる。
だから学問をすること、学ぶことは「この世を楽しむために」重要なのだ、と。
小、中学校は、その「マニュアルの読み方」を学ぶ場所である、と。
高校あたりから、ほんのちょっとだけ、実際の「この世マニュアル」を読むことが始まる、と。
言いたいことはわかるんだが、どうも説得力に欠けるな。 携帯電話を使用する上で、電波についての知識があったほうがいいのだが、それは 「電波は障害物に弱い、だから建物内で携帯...
結論はこうだろ、 学問とは大人が考え付いた物事の基盤となる思考の構築にもっとも近い方法だから する意義があるのであって 物事の基盤となる思考が 学問によってきづきあげなけ...
まあ不のスパイラルでもあるけどね 「知ってて常識」ってことがどんどん増えていって そのうちマニュアルにマニュアルつけなきゃいけないくらい複雑になるんだぜきっと