昨日、新宿二丁目に遊びに行ったんだけど、美しいオカマは本当に美しいな、と思った。これは二丁目に行くといつも思うこと。
そのお店には女性客がたくさん来ていて、美しいオカマに女性が群がっていたんだけど、オカマはその中で際立って美しく、群がる女性が少々残念に見えた。群がっていた女性も決して醜い訳じゃないんだけど、オカマと並んでしまうと、女性としての意識の低さが目につく。
その点オカマは美意識が高いから、スタイルの維持にも余念がないし、メイクも完璧だった。さらには身のこなし、周囲への気配り、いずれも女性以上に女性だった。
以前、大人計画の「ドライブイン・カリフォルニア」という舞台を観劇したが、その中で「男の乙女は、女の乙女以上に乙女だぜ」という台詞があったんだけど、まさしくその通りだな、と。
男の中にある「女性像」通りの女性なんてものは、もうこの世にいなくて、幻想の中、もしくはオカマの中にしか存在していないのではないか。
オカマは女性を追い求める。永遠に。何故なら永遠に女性にはなれないから。追い求めても、追い求めても、女性にはなれない。でも、女性にはなりたい。じゃあ、どうするか。なれないと分かっていながらも、自分の中にある「女性」に近づく努力をするしかない。結果、オカマの美貌は磨かれ、美しくなる。
オカマの美しさは、悲しい。悲しいからこそ、美しい。
私はノンケですが、「昨日の店内からSEXする相手を選べ」と言われたら、まず間違いなくあの美貌のオカマを選んだことでしょう。