2009-09-11

三界狂人不知狂

http://anond.hatelabo.jp/20090911005650

個人の主義主張が書かれている随筆文に対して、論理的に納得できないかのような文章を書くのは、間が抜けているのではないか。

感情的に理解できない」を「論理的に理解できない」かのように記述するのは欺瞞もいいところだ。

というわけで、わかり易いように国語の問題風にした。

 

Q1.

id:nakamurabashi が、下記のような考えに至った理由について、彼自身の経験を踏まえて簡潔に書きなさい。

なぜかといえば、たった一人のたいせつな女性がいれば生涯を生き抜くことは難しくないのに対し、二次だけでは、人は生きていくことがかなり難しい。

A1.

id:nakamurabashi は、かつて「死にたくてたまらない人」であり、生きながらえるために《フィクション》にすがり、《フィクション》を専一に求める生活をしていたが、結局のところ、自分自身を生きながらえさせていたのは《フィクション》ではない《現実》の人間関係や勤労義務であるという事実に気が付いたから。

 

Q2.

フィクションキャラクター価値のあるものとする

とは、具体的には、どのようにすることか。id:nakamurabashi の文章から該当部分を抜き出し、文末を「~すること」に変えて答えよ。

A2.

フィクションを完全な現実の代償として把握」すること

 

Q3.

理屈としてはあたりまえの話で、フィクションキャラクター価値のあるものとするならば、現実に存在するものはすべて価値がないものになるからだ。そしてすべてが価値のない世界では、自分もまた無価値なものになる。

とは、どのようなことか。「価値」「無価値」の意味を補った上で説明せよ。

A3.

フィクション》を《現実》と等価のものにする以上、同様に《現実》も全て《フィクション》と等価となり、《現実》と《フィクション》の区別がなくなる。そのような前提を実現するためには《現実》が《フィクション》に対して持っていた実在性や社会性といった価値を否定、ないし、無視せざるを得ない。その結果、自分自身が持っていた実在性や社会性といった価値も同様に無いものにされてしまうということ。

 

ここまで書くと、増田自身の使うロジックが、それこそ id:nakamurabashi が、かつて使ったロジックであることがわかると思う。彼はそのロジックで失敗した。

現実なんていうけども、この世自体、逆に言えば虚構みたいなものじゃないかな。どうせこの人生も一瞬しかないんだよね。しかも、特に何の意味もないわけで。そうすると、世間とか社会というものの方が、時に、寧ろ虚構のようにもみえる。

これは、Q3.で引用した文章の焼き直しに過ぎない。自分で同じことをいっているのに、理解できないと言ってしまうぐらい、周りが見えなくなっている。

 

空海の戒め

三界狂人不知狂

四生盲者不識盲

生生生生暗生始

死死死死冥死終

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    • 気持ちはとても理解・共感できるんだけど、2次元と3次元の違いは肉体の有無ではなく、意思の有無だと思う。 2次元のキャラクターは、あなたの目の届かない場所に逃げることはできな...

    • ごく私的な、なんていう逃げ文句をタイトルに入れた文章なんざまともに相手する価値はない。 不利になったら、 だって私がそう思ってるだけなんだもーん!個人の考えだから自由だも...

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