実家のとある場所に電灯のスイッチが四つ並んでいる。縦二つ、横二つの配置で。一つは廊下、一つは門灯、一つは玄関、一つは廊下の足もとにある小さな常夜灯のものである。
両親はその家に住み始めてかれこれ15年になるのだが、二人とも未だにそれぞれのスイッチと対応している電灯の位置を把握していなかった。
なので、夜に門灯や廊下の明かりを付けようとする時は、スイッチを一つずつ押していき「(パチ)む、これじゃない。(パチ)これでもない。(パチ)ああ、これだ。」を繰り返していたわけだ。15年間も。
そこで私は押し入れからテプラを取り出し、それぞれのスイッチの下に対応している場所が印刷されたラベルを貼り付けておいた。
そして数ヶ月後に再び実家に帰省した時、両親はラベルを見る事もなくほぼ100%の精度で任意の場所の明かりを一発でともすことが出来るようになっていた。
「学習する」という行為を考えさせられた。
反撃
どういうことだろう。 つまりは視覚的な記憶が大事だということなのか?
その辺はどう捉えるべきか結論は出ていない。 俺がテプラを貼るまでは四つのスイッチには何も表示されてなかったので、見ても見なくてもスイッチに触れる前にどこがどの場所の電灯...
つまり学習することについての報酬が明確でなかったために、 「位置を暗記する」という作業のうんざりさのほうが「ランダムに押下する」の簡便さを上回っていた。 位置名表示が発...