2009-07-30

言葉の国

その国では言葉を使う回数に限度がありました。

例えば「私」だったら一生のうちに三万回。「あなた」だったら二万八千回。「父上」は二万五千で、「母上」なら二万三千回までしか使うことができませんでした。

そんな国の王子は、とてもわんぱくで幼い頃から向こう見ずな性格をした少年でした。

快活で明るく、とてもとても饒舌なおしゃべり屋さんだったのです。

一日に五万単語を口にしてしまうこともありました。

従者や街の人々は口を噤んだまま、そのあまりの口やかましさに将来を案じていましたが、当の本人はまったく気にもしていませんでした。

そんなある日、王子の母が急病に倒れました。

どうやっても治すことのできない、不治の病にかかってしまったのです。

王は嘆き、家来たちは沈痛な面持ちを浮かべて、黙ったままずっと王妃の臨終に備え続けていました。

そんな中、ただ一人、王子だけは明るい表情を浮かべて、饒舌なまま王妃に語りかけ続けていました。

けれども、抗うことなどできるわけもなく、王妃の命が途絶える日は訪れてしまいます。

容態を診た医師が首を振ると、王や家来たちは口々にこの日のために取っておいた大切な言葉を、涙を浮かべながら死に行く王妃に投げかけてあげました。

やがて、王子にも順番が回ってきます。震える唇を噛み締め、両の手をぎゅっと握っていた王子が口にした言葉は、しかし周りにいた者達を驚かせるものでした。

「大っ嫌いだ」

横たわるベッドに進み出た王子は、痩せ細り浅い呼吸ばかりを繰り返す母親を前にして、苦しそうな表情のままその一言だけを口走りました。

両目から涙を流し、肩を震わせて渋面を浮かべながら。

様子に、王妃は最後の力を振り絞ってそっと微笑みました。

「ありがとう。お前は優しい子だ」

それから数年もすると、王子には使える言葉が何一つなくなってしまいました。

声に出せる言葉がないので、いつも口を閉ざしてばかりになってしまいました。

けれど、溢れる豊かな表情と穏やかな振る舞いとで、民の支持を得、国の支えになっていったということです。

おしまい

  • こんにちわを言い尽くせば成人 すみませんでしたを言い尽くせば社会人 さようならを言い尽くせば仙人 ありがとうを言い尽くして死人 かな でも、しかし、いやを言い尽くせば自分自...

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