発言にも行動にも責任を持ち、
しかるべき行動ができていると思っている。
みなしているかどうかについては、全く別の問題だ。
彼の思う通りに動いているあなたこそが、
彼にとって安心できるものであり、
その繰り返しの結果、彼があなたを信頼し、
あなたに何かを任せ、
それがあなたの表面的な幸せ(つかの間の満足)に
繋がる場合があるとする。
彼があなたからみて明らかな「クロ」を指示した場合に
あなたはどのくらい自分の思いを信じて「シロ」を主張し、
あるいは、主張せずに「クロ」に従い、生きることを選ぶだろう?
僕はこれまでずっと、自分が「クロ」だと感じたことについて
自分の信念を押さえつけて「シロですね」と言えなかった。
失望や不安に眠れぬ夜をたくさん過ごしてきた。
その結果が最終的に「クロ」であったところで
決断のタイミングで「シロ」を主張した人が認められるわけではない。
組織は常に忘れ続けることで、前へ進む自信を取り戻すのだ。
あのとき自分の感情に関わらず「いいですね、シロですね」と
言えた人は、今はみんな僕より居心地の良い場所にいる、らしい。
結局「信頼できる人」を決める作業は
基準を決めてよい人の持つ特権に過ぎないのだ。
僕はきっと、永遠に、信頼するに足りないバカのままで一生を終えるのだろう。
それにしても、簡単に人生を捨てられないというのは困ったことだ。
今日も、明日も。
未来に今より明るい何かを感じられない人がいることを知ったのは
ずいぶん年を取ってからのことだった。
多くのものを失ったことで、僕は人の痛みをやっと知ることができたのだ。
情けないけれど、これはまぎれもない、事実。
僕は、将来誰かに何かを与えることができるのだろうか?
ましてや、許すことができるのだろうか?
わからない。そして今日も夜が更けてゆく。
いつの間にか意識が薄れて、束の間眠り、
そしてまた明日、梅雨空の下、とぼとぼと会社に向かうのだろう。
なんら未来への夢や欲望に応えてくれる可能性のない、
そんな場所に。
ただ、生きるために。
何のあてもないけれど、誰に向かってでもないけれど、
渇望している。
何の根拠も、可能性も、裏付けも持つことなく。
白だと言わなくても許されたらば、
胸のつきものが落ちるように、すっきりと、眠れると思うから。
その先は、別になにもなくても構わない。
もうすぐ、また夏が来る。
暑く、やるせなく、でも過ぎてしまうとなぜか切ない、あの季節が。