2009-05-28

頭の良い人なんでもいいからコメントください

頭の整理のためちょっと借ります。

先日友人と、誰が、どんな人がすごい人間か、というような会話をしました。

偉人のように誰もが認める実績のある人物ではなく、私達の共通の知人の中で、アイツはすごい、コイツは普通だ、というような話です。それも、仕事ができるとかそういう目に見えて分かるようなことではなく、何か分からないけどすごいと感じる、というような主観性の強いテーマだったので、その議論は困難を極めました。

相手は自分の直感を信じるタイプの人でした。ですがその相手は相手自信が考える「すごさ」を説明することができませんでした。しかしそれにもかかわらず「でもなんとなくわかるでしょ?」と理解させるような言い方でした。アイツは何か恐ろしいものを持っている(本当にわかりづらいですね)とか、アイツは一目見てダメだってわかるだろ?とか……そんな言い方です。

対して私は、すごさとは明確な実感・実績をもってして初めて分かる、共有しうるものだと思います。直感的に感じるすごさとは、実際にすごいのではなく、「すごく見える」というだけの幻想のようなものだと考えています。もちろん直感は時として大事です。

相手はどちらかというと、誰かをすごいと尊敬するより、見下す発言が多いように思いました。特に、人間というものについて考えない者を馬鹿にしているようでした。そしてそういう議論を交わそうとしない廻りの人物を見下していました。人を理解する、分析する、そういうことが彼の興味の対象であるようでした。DQNのようにヘラヘラしているヤツは嫌いなようでした。

対して私は、何も考えていないように見える人でも、内部ではみな同じくらい悩みがあり、考えるものだと思っています。人間関係というものは無意識的に学習されていく部分が多いと考えています。自分は人より「人間について強い」、というのは思い込みではないかと思います。

相手は人間を優劣で分ける考え方をしていました。偏差値、順番、そういうものが好きな人です。しかしそれらに納得のいく根拠は無かったのですが。やはり「なんとなくわかるだろ?」というような言い方でした。

対して私は、人間というのは色のようにみな人それぞれであると考えています。しかし相手は人それぞれという言葉が嫌いなようでした。私もこの言葉思考停止を招くものなので場合によっては使うべきではないと思いますが、しかしこれに関しては人それぞれだと思います。

相手は読書を嫌い、本を読まない人間でした。読書というのは書いた者の考えに染まることで、それは無駄なことである、それよりかは、自分で考えることが大切だという信念を持つ人物でした。

対して私は読書が好きです。私は人が考えること思いつくことはみな何かからの受け売り、コピー、つなぎ合わせでしか無く、自分創造できることなどほぼ無いと考えています。自分で考えることは確かに大切ですが人から教わることは同様に重要であると思います。

一つ分かったのは、私と相手は人間についての見方が大きく違うことです。

そして、なぜこうも分かり合えないものかと感じました。(正直、私か相手か、あるいはその両方が議論に弱いというだけかも知れませんが)

人が相手に何かを伝えようとしても、1割ほどしか理解してくれないとよくいいます。ですからこれについてはもっと時間をかけなければ分かり合えないのだと思います。

  • 相手も増田も思考停止しているとしか思えない考え方をしてる(相手のほうがひどいが) 相手→偏差値や順などそれこそ浅い見方でしかない そんなものを振りかざして なんとなくわ...

  • 「すごい」という概念が何を指すのか、について共通認識もないうちから話をはじめたらすれ違って当たり前だろ。 頭がいい人に聞くとかそういう問題じゃない。

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