2009-04-02

褒めろ肯定しろは頑張れ教のファシズム

よく心構え的な文章で、他人を馬鹿にしないようにしましょうとか、悪い点をけなすのではなくて良い点を見付けて褒めましょうとかいうのがあるよな。

こういう本よくあるじゃん。売れるよな-。なんか綺麗な感じするもんな。

でも俺はあんな教えの信者にはなれない。

ちょっと前にあったのが「ついてる」教。とにかく毎日何かしら感謝したり喜んだりすべきことはあるのだから、それに対してついてるってことを自覚しなさいっていうやつ。

んで、そうは思えなくてもとにかく「ついてるついてる」と言葉にしなさいと。

「ついてるついてる」でフレーズ検索すると気持ち悪い位ヒットするのが本当に気持ち悪い。毎日ブログの最後に「ついてるついてる」とか書いてやんの。

こういうことやってるからメンヘルになるのだよ。ついてないと思う、あいつ馬鹿だよと思う、妬ましいと思う、でもやっぱ凄いよな悔しいよな、でもやり遂げる自信なんて無いと思う、そういうのも全部自分の素直な感情として認めないと。

無理矢理「ついてるついてる」って念仏みたいに唱えてもいずれ無理が祟るというもの。

妬ましいと思わない奴がいたら、そいつは彼我の決定的な差に自覚のない奴、つまり想像力のない奴か或いは無感動な奴だし、現実馬鹿なことやる奴はいるのだから、そのときは馬鹿だと思えばいい。後ろ向きになることもある。消極的であることは悪なのか?否定的であることを完全否定しちゃうの?それって否定的じゃね?

感じるままに感じることしかできない。

ただ、自分の考えが間違っていたときに改めればいい。それだけだろ。

ついてないときもある、出来ないこともある、不完全な存在中途半端存在から、全ての人間は逃れられない。

否定と肯定、白からグレイグレイから黒、黒から黄と移りゆく中でより良いものを見付ける努力を断続的にしていけばいい。

  • よく心構え的な文章で、他人を馬鹿にしないようにしましょうとか、悪い点をけなすのではなくて良い点を見付けて褒めましょうとかいうのがあるよな。 こういう本よくあるじゃん...

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