システムは今日も混雑していた。前世紀、正統性の判断基準が善悪から強弱に変わり、システムが生まれた。仮にある者が正しかったとしても、その者が強者であれば、それだけで過ちであり、そしてまたある者が間違っていたとしても、弱ければそれだけで正しいとされた。
そのコンセンサスが確立された頃は、善悪が判断基準であった時のように人が判断していたが、善悪と違い強弱は機械的に判断しやすかった。それ故、処理能力を増やすために機械化されるのに時間はかからなかった。
運営当初は混乱が起きた。今までは何も問題ないどころか、正義とされた行いも、主体が強者であると判断されただけで過ちとされた。法人や企業の敗訴が相次ぎ、今まではただの弱者であったものが、新たな強者となった。そこから先は泥沼であった。
仮に弱者を卵とする。卵は壁にぶつかり割れるが、割れた卵はシステムが保証し、壁に補償させてくれた。卵はどんどん壁にぶつかり、割れ、そして豊かになっていった。壁は莫大な補償のためボロボロになり崩れ去った。すると、卵はぶつかる相手を変えた。より硬い殻を持つ卵にぶつかっていった。しばらくすると、硬い殻を持つ卵も消え去っていった。しかし、卵は止まらない。いかに自分が弱者であるか。脆い殻を持つ卵であるか。それを主張しようとぶつかる相手を探し続け、ぶつかり続ける。今までは積極的にぶつかりにいかなかった卵も、うかうかしていると脆い殻を持つ卵に当て逃げされてしまうため、いかに自分の殻も脆いのかを主張するようになった。