2009-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20090214160316

小さなグループや個人の内部で成立するものだと思うけど。

ルールを疑うための規範は個人レベルから用意されるべきだし、その根拠となりうる規範はこういうかたちで言語化される。

今までの流れから、増田は「子供をつくることを結婚する男女に限る」のは「社会の都合を個人に押し付ける仕組み」であるから良くない、という主旨で主張しているよね?

これが効率的ではない、という背景だけで主張しているのならともかく、押し付けであるから駄目、という理由はどうにも納得しがたい。

理由は「社会の都合を個人に押し付ける仕組み」が全て否定されるのならば、社会というものは成立しないからだ。

結婚という制度が現状と合致していないのは明らか。

社会圧力が割りを食ってる人間へのデメリットとして強く働き、しかし結婚へと促す力は以前ほどないわけよ。フランスという成功例があるなか、この押し付け無意味だ。「押し付けだから駄目」じゃなくて「押し付けな上に無意味になってるから駄目」なのだ。

そういう意味で、べつのルール想像させない以下みたいな言葉には反論せざるをえない。

社会が、結婚しない男女に適してしまったらすぐに行き詰まるだろ。



んー。書いてて思ったけど恋愛至上主義個人主義ってどのくらい重複してどのくらい疎なのかなー。あー。

  • 小さなグループや個人の内部で成立するものだと思うけど。 そんなものを、どうして共有できるものだという前提で書かれているのか不思議だとw ひょっとして同じ増田だから共有で...

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