2009-01-21

宮崎アニメの衰弱について

宮崎アニメは、品質そのものの低下も去ることながら、大きくその勢いを失いつつある。

かつてのジブリアニメは、客入りもなく、同時上映という当時でいえば順当だが、所詮子供向けの娯楽映画であったものの、今見ても感動させられるほどの巨大なエネルギーを持っていた。

そのエネルギーがあったからこその、現在の地位ではあるが、スタジオジブリはじめ宮崎アニメといわれる映像群は近い将来、第一線から離れるだろうと私は見ている。

理由はいくつかあるが、大きく二つ挙げよう。

まず、宮崎限界

これは個人の能力の話ではない。体力の問題だ。挙げておくにとどめる。

もうひとつは、世界名作劇場世代の高齢化

意外だと思われるかも知れないが、世界名作劇場日本人アニメーションの原風景であり、それに立脚した宮崎高畑に代表されるスタジオジブリ作品群は、これらの背景があってこそのものと言える。

しかし、世界名作劇場は終了し、アニメはもっぱら成人の娯楽となりつつある。彼らは世界名作劇場でありながら、その影響を脱した世代だ。その世代より下の世代は、ジブリブランドは知っていても、世界名作劇場は知らない。彼らのアニメーション風景は、幾何学模様のキャラクターであり、萌なのだ。

これらメインターゲットとなるべき層が、ジブリに憧憬を感じなくなったとき、ジブリ作品は第一線を離れる。

憧憬を感じられる世代の、ノスタルジーな作風として楽しまれるものになるわけだ。

日本で地方公演をして回るベンチャーズのようなものになるかもしれない。

世界で評価されているではないかという反論もあろう。

しかし、芸術として評価される作品に、我々が求めているような娯楽性はあるだろうか。我々とは全く違う二次世界をもつ米人に、我々が感ずるような感動を得られるわけがなく、彼らが感じている感動も我々は理解できるはずもない。

彼らが芸術として評価していることそれ自体が、我々の求める大衆的な娯楽とはまったく違う次元にあるという証左であろう。

よって、世界での評価は、本質的評価とはまったく関係がない

宮崎アニメの衰弱は、見る人間が衰弱しているということだ。

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