2009-01-19

ミュトス産生力

おもしろくてためになる(啓発的な)お話というのを考え出すには時間がかかり難しい。弱いものがいじめられ、ていよく利用されて救いもなく死ぬ話が、聞き手が・語り手が現実を耐える力になったりする。

その場しのぎだけど、その場しのぎ以外に最良のものはあるのか?多少とも永続するのはみんなドグマだ。どうしようもない条件を絶望的な言い方で断言したものだ。ただ、そのドグマ言葉尻をちょっと変えるだけでお話が作れることもある(そういうお話の作り方が向いている人もいる)からドグマドグマだというようなドグマティックなことは言わないでいい。

ただそれを徹底すると、いい話を考えて出版してお金持ちになることはあきらめて、目の前の人ひとりひとりに毎晩別々の(いかにもその場しのぎの品質であっても出来たての)お話をするということになり、もうお父さん疲れたよ、ということにもなる。ただお話を考えていて仕事がおろそかになるのは本当はいいことだ。みんなが子供や情人に読み聞かせをした結果仕事が進まない社会はいい社会だ。本気でやれば、アラビアの故事にあるように1000日くらいはなんとかなるかもしれない。3年も経てば現実のほうも変わる。

まあいんちきぶりも内容のいいかげんさも昼間の仕事でつくるパワーポイントと同じようなものかもしれない。

ともあれ目の前の聞き手や語り手、かれらを含む環境の影響の下、再話によって変容していくことにお話の眼目があるのであって、古典になった絵本をありがたく押し頂くのは考え物だ。

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