深夜の乾いた道を窓から見てると、無性に徘徊したくなるんだけど、おばけとか変質者とかが怖いから家でぬくぬくしてる。
昔は怖れの比率が おばけ 9 : 変質者 1 くらいだったけど、時を経て変質者に出くわしたり住むとこも比較的物騒げなとこに移ったりして、おばけ 4 : 変質者 6 くらいになった。オ・ト・ナ。
ぱてしょん。
こっちにきてしばらく、三年くらいは、曇りの夜が多いなあって感覚を抱いてた。天気をしっかり確認する習慣が無かったから、三年曇り続きとおぼろおぼろな感じに脳が判断しても、別段違和感を感じなかった。夜に出歩く習慣も無かったから、出歩いてないほとんどの日は晴れてるんだろうと脳内補完してた。
ある晩、焼肉食べた帰りにはたと気付いたんだけど、晴れてんのな。雲が少し確認できたから、あの雲の向こう側が夜空だって類推できた。雲の向こうに薄黒い夜空。ベタ塗り夜空。ようやくかちっとなった。
「都会の夜空には星が無い」って話はかねてから散々あちこちで見聞きしてたんだけど、それと今ここにある空とをかちって連結させるのに三年かかった。星の無い空は曇り空って感覚と、昔よりさらに悪くなった視力と、積極的に何か同士をかちってさせる能力の衰えの三連コンボで、三年間ずっと夜の景色が曇ってた。さんさんさんさわやか寝太郎。(さわやか寝太郎。)
ぱてしょん。
空箱の山と散らばる小物に時々焦りを感じる。昔はもうちょっと箱と小物の連結を、うまいことかちっかちっとやってたつもりなんだけど。
使い切ったサランラップの芯を見ても、ストッキング買った時に中に入ってる厚いんだか薄いんだかよう分からんあの半端な紙を見ても、ときめかない。かちっとこない。昔あんなに欲していた優良素材を、迷った挙句にゴミ箱に捨てる。残念。
「子供ならではの発想」って話も再三見聞きしてた。それ自体をかちっとさせるのが今の自分には精一杯らしい。無念。
でも感覚が追いつかなくて、小物と空箱を意識すっ飛ばして増やしていく。パッケージにプラ版が入ってると、体が勝手に保存する。実はラップの芯も三本くらい家に現存する。いつかまたかちってなるかもしれない、なんて希望が、もしくは無意識が、幼い頃のゴーストが、包み紙のセロテープを慎重に剥がさせる。そして取って置かせる。傍から見たらごみっため。実際ごみっため。たまに捨てる。使わないのに後悔する。
ぱてしょん。
おばけはいる。少なくとももったいないおばけはいる。幼い頃のゴーストもいる。大人になって、それらが自分の脳を通過した場合に映像化されないことだけは分かった。映像に限らず、音声その他五感に通じるもの全般に現れないことが分かるともなく分かった。巷の「第六感」と照らし合わせてみたけど、かちっときそうでこない。オカルト性が、思ったよりものっそう薄い。
現実として、ファンタジーの力を借りずとも、おばけは存在可能だ。それが何故かも分かった。言葉に変換して説明できるほど脳みそ上等でもないし、言葉で説明もできないのに「おばけは実在するんです」なんて言い出したらオカルト扱いされて自分の中のおばけから遠ざかるから、言わないようにしてる。
きっと自分以外の誰かもそんな感じで、口には出さないけどおばけはいるって思ってるんだろうなって思ったら、根拠なしの空焚きにもかかわらず、心強くなった。
おばけが非科学的かどうかってのはあんまコアじゃなくて、比喩を挟むとおばけのしっぽ的なものがつかめたから、おばけの怖さが薄れたんだと思う。あと、変質者とか、目に見えるもの、五感に訴えるものを優先するような思考形態になったのも一枚かんでると思う。
自分の心の曇り空をしばらく信じ続けてた自分が、年を経て空を凝視したのとも関連しそうだと思ったけど、書いてる途中で寝そうだからそれは夢の中で考える。
ぱてしょん。