2008-12-03

東浩紀の『存在論的、郵便的』に浅田彰が寄せた言葉

東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。もちろん私の世代の「ポストモダン知識人」もサブカルチャーに興味をみせはしたが、それはまだハイカルチャーサブカルチャーの垣根を崩すためのジェスチャーである場合が多く、サブカルチャーに本気で情熱を傾けるようなことはなかったと思う。20歳代半ばも超えて、自室にアニメポスターを張り、アニメ監督(註:庵野秀明である)に同一化して髭までのばしたりするような人間ハイカルチャーが崩壊し尽した後の徹底した文化的貧困の中に生まれた正真正銘の「おたく」が、それにもかかわらず、自分では話せないフランス語テクスト執拗に格闘し、しかも読者に本気でものを考えさせるような論文を書く。それはやはり驚きであり、その驚きとともに私は「構造と力」がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである。この「おたく哲学」が「哲学おたく」とはまったく非なるものであることは、東浩紀の今後の活躍が証明していくことになるだろう。

(『批評空間』II-18編集後記1998)

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