理想空間の中に100万の元素があったとして、その組み合わせは100万以上だ。
現実には100万の元素の代わりに、砂や紙、鉛筆、筆、木、ガラス、鏡、コンクリート、パソコン、言葉、色、音楽などなど、本当にいろんなものが存在している。もちろん、それらの組み合わせはそれ自体よりも多い。
だったら、趣味とか興味って、砂浜の砂で作ったお城みたいなものなんじゃないだろうか。
誰かが恣意的に組み立てたものが、長期的に残って多数の評価を受けるようになる。いろんな人がそれに触発されて模倣し始める。砂自体はいくらでもあるから、ある人は知ることの出来る範囲のことに関心を向け、またある人は別の対象の知ることの出来る範囲内のことに関心を向ける。
何を選ぶかは自由だけど、他の人の関心に飲み込まれることがある。「私はAに興味があるのに、Bばっかり話題に出てくるから・・・」
自分の知らない世界はあるんだけど、知らなければ認識できないから、知らないということは存在していないのと一緒。
話題に出来るのは知っていることのみ。知らないことを話題に出すには、その断片を知らなければならない。じゃあ、どうやったらその断片を知ることができるんだろうか。そんなのどーでもいいと思っている人は、その断片に出くわしたとしても、通り過ぎてしまう。そして、知っている話題に引きずり込もうとする。そんな繰り返し。
さてさて、どんなに立派に見えるお城でも砂には変わりない。波に流されてしまう。最初のうちは、修復したり、守ろうとしたりするかもしれない。一度なくなっても同じものを作り直したりする。でも、興味や関心がなくなってしまったり、別のものの方が優先順位が高ければ無関心になっていく。ある閾値を越えると、結局流されてしまう。
一つしかなくて、希少性の高いものならいつまでも守り続けるかもしれない。文化や伝統みたいにね。でも、同時進行でいろんな砂のお城が作られている。そもそも、長期的に残るほうが珍しいわけだ。廃れる前提で考えて、残るほうがすごいって考えるようにしよう。
組み合わせに価値を見出している。組み合わせを土台に新しい組み合わせを考えている。作る人も見る人も楽しい。つまらない人は見なければいいし、別の組み合わせを探したらいい。ときには、「つまらない」と主張して、注目することに楽しみを見出す人だっている。何にどんな楽しさを見出せるかは、人によって違ってくる。それ自体には善も悪もなくて、その行為を評価することによって、善や悪が出てくる。そして、砂のお城だけでなく、それに対する評価や解釈、意見の衝突に楽しみを見出す人も出てくる。
楽しみ方はどんどん広がっていく。でも、細分化されすぎると楽しみが共有できない。だから、体系を作ってみることにした。統合や規格化をすることによって、効率的に物事が進められるし、共通理解を可能にする。これで、安心して一人じゃなくてみんなで楽しめるようになった。
さてさて、そんな繰り返しを何度も見てきて、すべてのことがつまらなくなったら何に興味を見出せばいいんだろう。つまらないというのは、価値を見出す能力を失ってしまったということ。自分から積極的に興味や関心を見出すしかない。つまり、諦めてつまらないまま生きるか、無価値だという前提の上に幻想を見出してそれを糧に生きるしかない。触れると一瞬で崩れてしまうような砂の城。そんな感じ。
いやそれ最初に学歴に代表されるような頭の良さってのが現代で一番重要視されるのは当然って書いてあるじゃん。ガタイの良さが増田では全く言及されないね、そこではイケメンと同数以上の票を集めてるのにねって指摘であって。
まあ金は客観的評価の象徴だからな。
頭がいいと便利ってのは頭脳労働産業が発達したからだけじゃなく、頭のいいやつが大抵お金の流れ方とか人の流れ方を読めるんじゃないかなーと。
結果として先読みできた人間は得をするわけだから、皆必死こいて頭を使ってると。
容姿が重要視されにくいのはそれだけじゃお金にならんからだと思う。
何だろうな、あの結果を見て「ああ、やっぱり年収を重視しているんだな」って感じがしたわ。実際、必死こいて伸ばそうとするもんな。
地獄の沙汰も金次第か。よくいったもんだ
> 「役に立つこと」と「成功すること」ってイコールではない気がするよ。
これは同意。
いわゆるコミュ力は一本だけで役立つところを除いて、自分の能力を補ってくれる要素だと思うから必須って訳じゃないんだと思う。
ただ、他人との協力の仕方や足並みの揃え方とか時間の守り方とかその辺りのレベルで大事なもんがあるからあった方がいいよねーってこと。
> 「肉体のピークを過ぎました。仕事人生終わります」
> だったらいいのだけど、ピークの後もまだ稼がなくてはならないしね。
この辺りは知力よりも知識的な話や技術的な話になってくるんだと思うわ。
例示のスポーツ選手なら効率のいい練習方法とか指導法とかチームプレーの戦略とか諸々。
ただこの辺りは知力というより技力なんだと思う。知力だと自分は別のものを想像してしまう。
って感じか
ところで増田さんよ。何故店員の話にそれた。そりゃ例示であって本題じゃないだろ。
そりゃ同じ条件の人間がいたら容姿の良い方が有利として差は出るかもしらんな。大体容姿ってのは健康状態や体力や手入れの程度が反映するから、余裕のある個体ほどいいのは当たり前だしな。
確かに自分の所属する立ち位置によって必要な能力って変わってくるけど、
肉体って20代、30代がピークだし、その後の衰えをカバーするには、やはり知力に投資しておいたほうがいいんじゃないの
プロ選手とかスポーツエリートになるのはリスキーだし、彼らだって、肉体のピークで稼いだお金を元手に事業とか展開するわけでしょ。
「肉体のピークを過ぎました。仕事人生終わります」
だったらいいのだけど、ピークの後もまだ稼がなくてはならないしね。
集団行動できるのが役に立つっていうのは同意なんだけど、
「役に立つこと」と「成功すること」ってイコールではない気がするよ。
店員って、最低限の頭のよさは必要だろーが、コミュ力さえありゃ、別にそこまでの賢さはなくてもいい職種じゃん。
容姿が重視されるのも分かりきってる職だし。
頭より容姿が重要って主張をしたいなら、店員のような頭より容姿の方が重要な職が実社会に出たとき勝ち上がるのに重要であることを示すか、
あはは。ちょっとからかっただけでこの焦りよう。
よっぽど自分のセンスに自信がないんだろうね。
まぁ、このレス内容からセンスの無さはよくわかるけどw
キミにはちょっとハイセンスすぎたってだけさ。
親父と爺さんの背を見て育った俺が思うこと
爺さんは頭はなくてもいいから身体と人間関係を作れといい、親父は人間関係を作れる能力と学歴(知力)をどうにかしろと口うるさく言っていた。最終的に俺は人間関係を円滑に運ぶ能力が欠けて、他は軒並み並程度だから自分でどうにかする場面が多かったから親父と爺さんがいったまんまの世界がほぼ広がっていたわけなんだ。
けど仕事が出来てお金が入ればいいわけでもないし、顔が良くて女とちちくりあえればいいわけでもない。
最終的に実社会に出た後やることによって左右されるステなんてまるで違うから、頭よければいいって話でもない気はする。
つまらなさを逆に楽しむというか。(フリクリがつまらんと言ってるわけではない)
悪いけど、実社会で勝ち上がる男って店員じゃない気がするよ。
就職面接でも、頭を必要としない会社ならともかく、そうじゃなければ学歴見るでしょ。
ソニーみたいに学歴は見ないけど、別の観点から頭のよさ見るところもあるけど。
ただ、他の条件が全く同じなら、容姿いい方が有利というのなら納得する。
さらに、容姿いいと印象よかったり、学生時代に恋愛経験が多かったりして、コミュ力が上がり、就職・仕事にも有利というのはあると思う。
それに容姿いい人にコンプレックス抱いて、どうせ自分は頑張ってもイケメンに負けると思ってる人を取りたい会社はないだろうし、そんな人が実社会で勝ち上がるのは難しいと思う。
ってかさ、研究職や数字で判断される営業職を否定しますか。
元のアンケートで示された中だと「頭のキレ」が一番必要だと思うのですが、
そういった意味でもあまり間違えてないとは思う。
顔のよさや肉体美の効果のほうが成功要素としてはむしろ限定的。
バフェットがそこまで色男か?違うだろうよ