実際問題として重視される「形式」って君が考えてるようなものじゃないし。
重視されないけど、皆が当然のこととして暗黙のうちに守っているからこそ形式が機能する。いうなれば本質に触れないで済ませられる部分を、形式でチェックして、はずれなものを落とそうとしている。
別の増田は、かなり基本的な形式を軽くつっついて、増田はボロを出したので「形式」的に落としたんだろう。それは元増田が「本を読まなくても言語学の分野の本ではないとわかるだろう」という直感に基づく形式や、新書レベルの知識教養がないのは馬鹿だろう(意訳)という形式を用いているのと同じ。
元記事書いた時点でほとんど水村本に批判がなかった時点で「権威主義」の批判がまったく当たらないことはすぐにわかりそうなものだが。
水村本への批判の中身やある時点における批判の有無なんてことは問題にしてはいない。元増田が考える根拠を聞いてきたのだが、それが例の「知識」以外見あたらない。さらに、自分の頭で考えていない人を馬鹿にするということは、自分で考えることに何かしら自信があると推測されるのだが、いくつか不思議なところがある。例えばこの部分。
自分の頭で考えられるなら「専門家から見てイチコロ」とは言わないだろう。頼らなくても自分で判断できる「知識」があれば敷衍して説明できるだろうし、100%でなくとも「知識」を元にしてかいつまんで説明するだろう。元増田の性格を推測すると。しかしそういうものはさっぱり出てこないところから、権威にしぼってつっこみ、駄目押しに学歴面から煽ってみたら案の定でしたと。ただ元増田は権威に依存しているわけじゃなくて、つまみぐいしているだけだから、そんなに重症ではないのだろうけど。
もうこの際だから言ってしまうけど、水村本には全部目を通したよ。
この発言もそうなんだけど、カウンターを入れたりポジショニングであれこれやろうとしたんだけど、馬脚をあらわしてしまった。釣りにガチが来たときどうするかもあらかじめ戦略のうちに盛り込んでおかないと釣り師としてスキル不足で、最終的には「僕は釣ろうとしたんだよぅ」とずるずる後退することになる。それはそれで「知識」がもっと必要になってくるのでじゃまくさいけど、お山の大将から抜け出すには労力がかるもんだよ。
聞きかじりの知識だけじゃなくて、もうちょっと現実を考えてからものを言おうね。 重視されないけど、皆が当然のこととして暗黙のうちに守っているからこそ形式が機能する。いう...