2008-10-27

人づきあいが苦にならないらしい友人が何人かいる。

どうやったらと思うくらい気はきくし何かあるとすぐに飲みにいったりご飯に行ったりなどする。店員さんなどともすぐ仲良くなるし,すぐに覚えられて顔なじみになる。

ただ彼らを観察していて気付いたのは,全くそういうことを苦なくやってしまう,いやむしろ覚えられようとなんて思ってもないけど覚えられてしまうタイプと,がんばって覚えてもらえるように店に通いつめたり気を配ったり連絡を絶やさないようにしていたりするタイプの二種類がいるらしいということだ。どちらかというわけではなく,どちらかというとどちらかという分類だけれども。

前者は連絡は結構つかないことがあったりはするが,連絡がつきさえすれば義理堅いところはある。連絡を相手からしてもらうことも多いようだ。やれば幹事などもできるしそういう人脈も持っているが,いつも能動的に動いてるわけではない。その代りお礼はちゃんとしてる。

後者はどちらかというと自分から連絡を取って,予定を立てたり幹事をしたり,覚えてもらうためにあれやこれややったりなどをする。

どちらがいいとかはその人の問題なのだが,リア充と呼ばれる人の中には全くそういうことが苦にならないというか,息をするように誰かとコミュニケーションを取れるような星のもとにいる奴もいるんだなぁなんてことを時々思う。本人も全く苦労しているとは思ってないようだし,ただ義理堅いだけらしい。うらやましいなーそうなれたらいろいろ楽しそうだなーと思ったりはするのだが,いかんせんあまり義理堅くないのとそういうのをめんどくさく感じてしまう自分はリア充にはなれないんだろうなぁ,なんてことを思ったりする。彼らは義理堅いのでまぁいろいろと呼んでもらったりなどして本当にありがたいのだが。

たぶんそれぞれの個人によってちょうどいいコミュニケーションネットワークの広さというのがあるんだろう。僕の一番居心地がいい広さというのは彼らほどは広くないし,一般的にみると相当狭い方だけれども,僕はそれで充足しているから不満もない。非コミュって言われるような人たちと同じなんだけど,知らない人と話すのは苦痛だけどそれなりに慣れれば取りたてて問題ない。広げなきゃいけないとかになるとストレスはあるかもしれないが,割と仕事や付き合いとなると割り切れるタイプなのでなんとかやっていけるのかな。わからないけど。

たぶん無理してリア充になろうとしたり,コミュニケーションをいろんな人にと考えても自分の制御できる範囲を越してしまったら結局辛いだけなんだろうな。いろんな人とコミュニケーションをとるのが苦ではない人がネットワークを広く持っていればいいんだと思う。それでそのネットワークの一部に僕のネットワークも接合していて,必要な時は協力を仰ぎ,協力してもらったらきちんとお礼をする。あるいは彼らが協力を求めてきたときにできる範囲内で,あるいは僕の得意な分野で協力などをする。それだけでいいような。

  • >いろんな人とコミュニケーションをとるのが苦ではない人がネットワークを広く持っていればいいんだと思う。それでそのネットワークの一部に僕のネットワークも接合していて,必要...

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