私はどちらかといえば選民思想な人であるが、僕たちは歴史に学ぶことは意外に無駄なのかも知れない。私たちは第二次世界大戦から多くを学んでいる、が学んでいない。パラドキシカルであるがたぶんこれは事実であろう。言い換えれば、私たちは歴史から学んだ事実を史実しか学んでいないのではないかということだ。うむ、意味がわからない文章だ。
例えば、第二次世界大戦のドイツを例にとってみれば(ここではホロコーストが事実だの事実でないの数が多すぎるだの少ないだのイデオロギーによる論争を提起するものではない。)、第二次世界大戦は社会心理学において大きく寄与したはずだ。例を出してあげるならばスタンレーミルグラムやスタンフォード監獄実験、アッシュによる同調の実験、大多数の少数に与える影響の実験(これはアッシュの実験と同じか)、また少数が大多数に与える影響の実験(ブルーグリーンパラダイム)、(お勧めはUnderstanding Genocide:: The Social Psychology of the HolocaustとObedience to Authorityとか関係ないけど長谷川真理子とかそのあたり)私たちは如何にして自らの意思を捻じ曲げ如何にして無意識のうちに他人の意識を捻じ曲げているのか理解しなければならない。
さらに言い換えよう、なぜ人々は南京を否定することに躍起になるのか、なぜ人々は南京を肯定することに躍起になるのか、なぜイデオロギーは人を惹きつけるのか、私たちが学ばなければならないのは史実などではない。人間である。南京で虐殺したから日本人はひどい人間だ、なんてまったく無意味なことに気づかなければならない。なぜ彼らは自虐することに意味を見出すのか、それはどのようにして彼らに利益をもたらすのか(必ずしもお金ではない。集団に属するという意味もしくは心理学的意義を理解せねばならない。そこからどのようにして自虐的行為が何にどのような利益をもたらすのか知らなければならない。)
歴史を明らかにするのは重要だ。だかそれ以上に重要なことはあるのではないのか。イデオロギーによる闘争に身を投じて君は成長できるのか。君はイデオロギーから何を学ぼうとするのか。君はなぜイデオロギーにひきつけられるのか。理解しなければならない。