実生活にはあまり役立たない。
確かそんな新書があった気がするが、中身は読んでいない。
論理が役立つためには、そもそも、「論理的な対話」というのが尊重される背景がなければならない。
中年なんかそれが物凄く顕著。何も通じない。彼らは何を言っても、「いやそうはいってもさ」という謎の一言で全てを覆す。
論理で勝とうが結局相手の方が権力が上ならそんなこと何の関係もない。裁判ですら、そういう面があるというのに、実生活で論理など聞いている奴がどれほどいるというのだろう。論理力(笑)には自称自信があるという奴だって、それは大概は「自分が勝っているとき」だけ論理を押し出すだけで、論理で自分が負ければ、途端に「いやでもそうはいってもさ」「っていっても、それはやっぱり無理があるんじゃないかな<根拠も出さず)」等と謎の呪文を唱えだす。
大体そもそも、言葉は思った以上に気持ちが伝わらない道具だ。
言葉で全てを表せるつもりの人は多いが、言葉は所詮ツールでしかない。
はてなのホッテントリと、それのブクマを見て、「なんでこのエントリを読んで、その感想が出てきちゃうわけ?てーか、絶対読んでないだろ、こいつ」というブクマコメントに出遭ったことはないだろうか?
ああいうのを見かけるたび、「対話」の限界にうんざりしてしまう。
世の中には「話が通じない」人が確実にいることを、思い知らされる。
高校まで僕は恥ずかしながら、「話せば分かる」と本気で思っていた。
でもそんなことは幻想なのだ。
分からないやつは分からない、伝わらない奴は伝わらない。
こんな世界で生きぬけるのか、僕は。
http://anond.hatelabo.jp/20080729233712 気がついて、良かったじゃん 「論理的かどうか」という観点も、数あるモノサシのひとつに過ぎないのだから (かなり汎用的なモノサシではあるが) それ...