僕は新宿で電車に乗ったのです。夏でとても暑かったのですが、車内はクーラーが効いていました。僕が座った後で向いに、女子高生3人組が座りました。一人は私服の子で、残りの二人は制服を着ていました。制服の二人は明らかに高校生という感じがしましたが、私服の子は姿形が中学生にも見えました。ですが、多分高校一年生くらいなのだと思います。三人の話が聞こえてきた限りでは、どうやら私服の子は別の学校のようでもありました。僕の真向かいには私服の子が座っていました。とても華奢で他の二人とは対照的でした。薄く化粧をしていて耳には大きなイヤリングをしていました。僕はそのイヤリングがどうしても、誰がつけていても、苦手なのですけど、その点を差し引いても、とてもかわいらしい子でした。僕はじろじろみては絶対にいけないと思いましたが、どこに目をやればいいのか困りました。いつだってじろじろ見るのは不気味だしいけないと思いますが、ましてや夏ですので、みんな涼しそうな格好なのですから。少し目が合ったり、そらしたりし合っていたのですが、その後、どの駅だったかは忘れましたが、4、5歳の男の子とその子の母親が乗ってきました。二人は座席に座らずに三人の少女達のすぐそばのドアに立っていました。僕は目のやり場に困っていたので、その男の子のことを見ながら、ぼんやりと考え事などをしていました。僕はその男の子は一体何を考えているのだろうとか、いやらしかったり、冷たかったり、ぼんやり考え事していたり、恋していたりする視線の、その意味についていつ頃理解するんだろうかとか考えていました。男の子は落ち着きなく、外を眺めたり母親の足にしがみついたりしていました。僕はそれをずっと眺めていたのですが、私服の少女もそれに気づいたようで、男の子の方をちょっと気にし始めました。男の子も私服の子が気になるようで、じっと少女のことを見つめたりしていました。それを見て、私服の少女はとても優しそうに、うれしそうに、屈託なく笑うのでした。僕はその笑顔をみたら、ほんとうに、あまり見てはいけないと思っていて、その点ではとても申し訳なく思うのですけど、なんだかここ最近のいろいろな不安とか、焦りとか、さまざまな問題のこととかを少し忘れさせてくれるようでほっとしました。それだけでも、少しいい気分になったのですが、それよりももっとすばらしく良くて幸せな瞬間があったのです。男の子は、何度も少女達のことを見て(私服の子が隣の制服の子に男の子のことを知らせたのです)、少女達もそれに答えて笑いかけました。でも、制服の子はすぐに男の子に飽きてしまったようで、外を眺め始めてしまいました。それでも、私服の子だけはずっと男の子を気にかけていました。そして何度目かに二人が見つめ合ったそのとき、これが僕に幸福を与えてくれた瞬間なのです、少女が男の子に、あのかわいらしい、幸せそうで、優しい微笑みを見せたそのとき、男の子は照れながら、恥ずかしそうに、でも少し機械みたいで少女の微笑みに自動的に反応するように、それでいてほんとうに自然な感じで、少女に微笑みを返したのです。その男の子の微笑みを見た少女は、またより一層幸せそうに微笑むのでした。そうして二人の満面の笑顔が幸せな感じが増幅していって、それを見ていた僕は、ほんとうに、頭がどうにかなってしまったようで、ほんとうに、いろいろな苦しいことがずっとちっぽけなものになったような気がしました。それを見ていたら僕の方も幸せな気分になって笑ってしまって、それを悟られないようにすぐにそっぽを向いたのですが、気づかれていなかったらいいなとは思いますけど。でも、ほんとうに、その瞬間はとてもすばらしくて、幸せがいっぱいで、夏で日差しがきれいで、外はすごく暑いのだけど車内はクーラーが効いていて涼しくて、窓の外は山とかが切り崩されているんだけど、緑がきれいで、大きなショッピングモールとかが森の中でかわいらしくって、夏で、ほんとうにいろんなことがあるんだけど、ほんとうに、どうでもよくって微笑ましくて、その瞬間は完全に言葉を失っていました。僕も年を取っていて、過去には戻ることはできなくて、もうほんとうに少女達と話すことはまずないし、話すことも何もないのだけど、あの男の子を介してほんの少しだけ、少女との間の無限の距離に直面した気がしました。もう一生会うことはないだろうし、この距離が埋まることは決してないのだからその意味では会うことは絶対ないのだけど、ほんとうに一瞬だけ、近さとか遠さでは測れないんだけど、その距離を感じた気がして、頭がくらくらして、でもこことそこの違いがたしかにわかったような気がしたのでした。僕は途中で降りたから、少女達がどこまで行ったのか知らないけど、でもどこまで行っても測れない距離だから、どこにも行かなくて、ほんとうにどうでもよくなって、真昼で太陽が真上にあって暑くって、ほんとうに夏だから、笑いをこらえながら、これは幸福な世界だなって思って、いつかは忘れてしまうのだろうし、過去には戻れないのだけど、ほんとうにどうでもよくって、歩いていきました。