人間の本性に対するどうしようもない遣る瀬無さを、
感じさせられずにはいられないのだ。
ほんとう。
経済的にも社会的にも。あとは、コミュニケーション弱者でもあった。学校の中で友達の多いか少ないかで決まる格差社会、と斉藤環氏が書いていたやつだ。
そういうありとあらゆる格差の中での弱者側だった。
弱者は社会のストレスを吸収させられている。そいつらが吐き出すのは個人のストレスじゃない。社会全体が彼らにかけている負荷に対する悲鳴だ。
カトウだけじゃないはずだ、あんなに苦しんでいるのは。
いまもたくさんの人が苦しんでる。
それってなんだか同時テロを思い出してしまう。
そしてそのストレスを、わずかな違いによって弱者たることを免れた者たちが黙殺し、あるいは弱者だけになすりつけ、ネタにして騒ぐだけで流してしまうこと。
人の痛みがわからない。