いじめられっこから言わせてもらうと、犯人はただ自分勝手だっただけだ。自分勝手な奴というのは、だいたい他人に対する想像力が欠如している。
「もしかしたら、相手もまたいじめられっこだったのかもしれない」
「この人は一見幸せそうに笑っているが、もしかしたら深刻な悩みを抱えているのかもしれない」
「あいつは天才と言われているが、影で血の滲むような努力をしているのかもしれない」
「俺は良い人を演じて他人を騙しながら生きているが、他人もまた良い人を演じて自分に接しているのかもしれない」
こういう想像力が欠如していて、自分にとって見えないもの=ないものとしか思えず、かわいそうなのは自分一人で皆は恵まれているんだと思い込む。自分勝手な奴は、こういうことを考えないし、考えたくもない。なぜなら、
「俺は可哀想な被害者なんだから、恵まれてるお前達は俺に気を遣うべき」
「できるかできないかは生まれつきで決まるから、努力しても無駄(=努力したくないことの言い訳)」
という論が覆されるからだ。つまり、他人は自分を特別扱いして気を遣う必要はないし、自分の努力が足りないから今の状態が良くないということを認めることになるから。
秋葉原で殺された人はいじめっ子だったかどうかわからんだろ。もしかしたら、自分と同じいじめられっこだったかもしれんだろ。そういう想像力すらないから自分勝手なんだよ。自分だけはいじめる側に回らないのがいじめられっこのプライドだ。
あと、根本的なことを言うと、秋葉原の犯人はいじめられっこじゃなかっただろ。むしろ中学時代は人気者で女子とも普通に話してたとか、人当たりが良かったとか言われている。
だいたい、いじめた奴に対する復讐方法として、逆にいじめ返したり殺したりするのは最も馬鹿な方法だ。一時的にスッキリしても、世間からの評価は良くて喧嘩両成敗、大抵は「お前の方が悪い」だ。
復讐したかったら、自分は常に被害者の立場・正しい立場にいることだ。相手や世間に、「お前だって悪いじゃないか」と言わせる隙を与えるな。いじめられてるところをこっそり録音したり、汚された私物を写真に撮っておいたり、身体的な暴力は病院入って診断書書いてもらったり、いじめの内容を毎日事細かに記した日記をつけておいたりして証拠を集め、保護者会や教育委員会や警察やマスコミに訴えて、世間を味方にする形で報復する。そうすれば、悪いのは100%相手で、自分は100%被害者だと認めてもらえる。そうやって、相手を社会的に失墜させるんだ。
これは、昔いじめられていた時に、ここに書いたことよりはずっとソフトな方法で実際にやったが、けっこう効果あるぞ。大部分のいじめを減らし、担任が学期の途中で交代した程度の効果はあった。
事件の原因はわからないが、「イジメられっこ」がキレた末の行動として見たとき、不謹慎ながら一抹の「憧れ」に近い感情を抱いている自分がいる。「いじめられて自殺するくらいなら...