2008-06-10

秋葉原通り魔事件と裁判員制度

というテーマでのエントリはまだないと思うので、書いてみる。

自分のブログに書くには、考えがまとまらないので、メモ的に増田で。

もしこの事件が1年後に起きていたら、この事件の裁判の第1審は裁判員によるものになっていた、

ということの意味を考えておくことも重要ではないかと思う。

たぶん色々な観点、切り口があるんだろうけど、こうした事件に関する限りで言えば、

裁判員が関わることは意味が大きいのではないか。

光市の事件などと違って、このような事件については判決死刑となることについてはほぼ確実であること。

模擬裁判で一番裁判員が悩むのは「有罪か無罪か」「有罪だとして刑をどのように科すか」とされているから、

それが大きな焦点とならないであろう事件については、それこそ市民的観点から事件そのものに

ついて考えることができることが期待されるであろうこと。

わたしは裁判員制度については反対の立場であるけれど、こうした種類の事件であれば、

その裁判に一般市民が立ち会うことについては相応の意味がありそうだ。

この程度の考えしかできないのだけど、たぶんこのテーマはもっと発展させることができて、そういうことを

投げっぱなしで尋ねるには個人ブログ掲示板より、増田の方が適しているのではないかと考えて投稿した。

  • 事実認定や量刑に争う余地のない事件なら裁判員にかけないで普通に裁くと思う

  • 市民的観点から事件そのものについて考える というのはどういう意味なんか、もう少し説明してくれ。それってワイドショーとどう違うんだ? わたしは裁判員制度については反対の...

    • 元増田です。 >ワイドショーとどう違うのか そこは難しいわな。 たぶん違わないのではないか? 裁判員制度の制度趣旨って、一部は間違いなくそこに存在するのだし。 >自分の責...

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