2008-04-16

体を使うことから遠く離れて

「ぼく、将来大きくなったら、力仕事を全くしない人間になるんだ!」

掃除中の机運び、体育の授業、徒歩や自転車での長い通学…。

そんな生活に常々不満を持っていた小さい頃の自分。

その気になれば一年中全く運動しなくても生きていける大人達キラキラと輝いて見えた。

頭しか使わない仕事について、重いものを持たされる肉体的疲労やチームプレイスポーツの精神的苦痛とは無縁になりたい――

そんな夢を叶えるため、必死に勉強した学生時代。

運動能力平均値と一般的イメージによって無条件に力仕事を免除される女の人がうらやましく、唇を噛み締めることも数多くあった。

天気がよければ外で運動、雨が降っても体育館で運動、と、どちらに転んでも絶望的な結果しか生まない体育の恐ろしさに何度も打ちひしがれた。

そんなとき励まされたのが、力仕事はしないと14歳の時点で誓った、という京極堂の台詞。

フィクションながらも、自分と同じ信念を持ち、それを実現している姿勢に大きく心を打たれた。

その後、夢の実現にもっとも大きく近づいた一歩。

それはちょうど20才の頃、生涯最後の体育の授業が終わった瞬間だった。

これで二度と強制的に運動させられる機会はなくなる…!

ずっと欲しがっていたものにも関わらず、小学校入学以来ずっと続いてきたその苦しみの突然の終わりに実感が沸かず、そのときはまだ半分宙に浮かされたような気分だった。

それでも後から思い返す度、体育がなくなったということは自分にとってやはり非常に大きな変化だった。

なにしろあれほど一分一秒が長く感じられる時間は他になかったし、「ペアを作って練習しろ」と言われ暗澹たる気分になることも、

息が切れているのに意に反して走らされることも、飛んでくるボールに神経をすり減らすことも今はもうない。怪我をすることも少なくなった。

ももちろん、夢はそう簡単には叶わなかった。

イベントでのテント設営の手伝い、引越しや長旅で避けて通れない重い荷物の運搬、工場での製造実習――。

仕事が発生してしまう機会は日常のあちこちに潜んでいて、常に注意深く意識を巡らせていないと、すぐにその魔の手に絡みとられてしまう。

それでも今現在、おおよそ体力仕事とは縁のない職場で働くことが出来るようになっている。

今後望まない体力仕事をすることは、もはや一度もない…という確証は持てない。

けれど、子供の頃の自分に胸を張れるほど、運動をせずに住む環境にいる。

もし今、同じような夢を抱えている子がいるのなら、ぜひ将来への希望を持って今を耐えて欲しい。

きっと将来、その夢を叶えることはできるのだから。

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