2008-03-21

視野は広ければいいものではない

意識における視野は広すぎても邪魔になる。

余計なことを考えてしまうからだ。

考えなくていいことまで考慮し始める要因になってしまう。

そういう意味インターネットはまじめな人・律儀な人・細かい人にとって時に地獄である。

余計なことを知る可能性が上がるからだ。

やはりインターネットは一般人には重荷すぎる。学生となればなおさらだ。

インターネット利用に関してはメリットよりもデメリットに目を向けるべきだ。

得られるもの以上に失うもののほうが多い。特に物理的に。

それは当然のことでもある。インターネットでやり取りしているのは触れられない情報ばかりだからだ。

いくら時間を浪費しても一時的な情報処理ばかりが頭の中で行なわれ、

人間にとってもっと重要物理環境の変化は一切ない。

データはほぼ代えが利くがそういう周囲の「触れられるもの」には代えはない。

特に周りの家族や友人は代えが利かない。

失ってから再び手に入れるにはそれまで得た余計な情報はほぼ役に立たない。

役立たせることができるとしても、もっと楽な方法がインターネットの外にはたくさんある。

そういう意味インターネットにより失うものの巨大さをもっと知っておくべきだろう。

知らなくていいことをかき集めても、毒にはすぐなれど、薬にするにはどうしようもないほどに時間と労力がかかる。

ここでこんな主張をしても説得力に欠けるのだけど、でもこれはもっと重く受け止めたほうがいいはずだ。

知らなくていいことを興味一つで探し出せる力を「恐ろしいもの」「注意すべきもの」と捉えずにいるのは

たぶん人間にとってとても危険なことではないかと思う。

教育機関ではもっとインターネットの使い方を義務的に教えるべきだ。

自業自得ではあるけれど、インターネットのおかげで救われたことよりも絶望させられたことのほうがずっと多くて大きい。

視野を広げるといっても広がるのは頭の中の「社会」のイメージばかりだ。

正直そんなイメージ、放っておいても勝手に生まれる。それもネットがなければもっとましな形で。

だから、お願いだから教育機関は「インターネットの使い方」ってやつをもっと徹底して教えておいて欲しい。

好奇心の扱い方ってのを、もうすこし教えてあげてくれ。

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