2008-03-18

匿名ダイアリーデビュー子供を守れ議論

機能に慣れよう。

 

本屋メディア子供を駄目にするみたいな論調の本を手に取った。

なんか、次の選挙立候補するとかそういうお偉い人が書いてる本。

買ってないけどね。ぱらっとめくっただけで。

 

こういうメディアの氾濫の危機を訴える人は、

決まって子供を守れと訴えているような気がする。

それは一般論としてはご立派だけど、

こういう主張からは結構、その子供を守る主体としての大人が

どういう風に自分を変えるかについては言及されてない。

 

時代が変わったときに、子供が接するものが変化するのは

必然的に起こってくることなのだから、

例えば子供テレビとかインターネットばっかやってて

駄目になりそうだというのなら、

まず大人がテレビインターネットを理解したうえで

子供メディアを共存させていく道を模索するのが

基本的な方法のはずなんだけれど、

子供守れ論の主張では大人は完成されたものという妄想でもあるのか、

それとも大人は子供のために学習、対応が出来ないほど無力な存在という前提なのか、

なぜか「テレビは1日1時間で電源を切れ」

インターネット子供に使わせるな」とかっていう

規制の論調ばっかりだったりする。

 

その方がウケがいいのは判るけれど。なんか違うような気がする。

自分の育った時代が一番正しかったと思ってるのだろうか?

 

そもそも、子供保護するっていう中身さえ

時代に伴って変わってきていると思うのだけれど。

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