セクハラは相手を選ぶ
この文章だと
と解読される。
そんなことはよく言われない意見ではあると思うが、元増田の周りではそうなのかもしれない。
この一文からは確かに誰がモテているのか全くわからない。次の文章を見てみよう。
その、という言葉を使っている以上、すでに言及された登場人物であると思われる。
よって電話番号を知られたがるぐらいモテていたのは娘と仮定する。
「スキンシップのつもりだった」
と言い張っても
この発言は誰が発したものだろうか。
セクハラ以外の何物でもない。
同性でのスキンシップなら、不快なものだとしてもセクハラとは呼ばれにくい。
つまり娘とは性別が異なる人間が登場していたと推測される。
「スキンシップのつもりだった」はセクハラを行った人間の発言である。
この場合観察者の元増田が男性であると仮定すれば、娘にセクハラをはたらいたのは元増田だろうか?
ここで冒頭の「セクハラは相手を選ぶ」発言が気に掛かる。
一般的じゃない意見をさも普遍的な事象のように語っている元増田は特殊な思考回路の人間ではないのか。
というか、いくら嫌ってはいない相手であっても
人が誰かを好いているか嫌っているかというのは第三者からはわからないものだ。
元増田は娘から嫌われているとは思っていなかったのだろう。
やっぱり公衆の面前で両チチをわしづかみにされれば
一瞬で嫌いになるとは思うんだがね。
自嘲気味な呟き。元増田が自分の行為を反省している様子が伺える。
そうそう、まさにそういう風に読める文章なんだよね。 主語をはっきり書かないくせに指示語なんかつかってんじゃねーよと。