2008-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20080107201128

「僕は、タテマエとか社交辞令とかは嫌いなんです」

「本音と建前を使い分けられないと社会では居場所がないかもしれないわね」

「それが真実なら、僕には居場所がないですね」

「そういう風に(ネガティブに)考えることはないんじゃないかな」

いやいや、あなたは自分で僕のことをを追い詰めるようなこと言っておいて、僕がそれを真に受けたら今度は気休めをいうのか。

僕をそういう思考に追い込んだのはあなたでしょうが。

どっちかにしてよ。

ずるい。

「居場所がない」という発言は、この場合『事実の叙述や定義』ではない。確かに『居場所がない』ことは誰しも嫌なことではあるが、だからこそ同時に「社会に『居場所が無くなる』なんて極端なことは基本的には無い。」という大前提は、この社会でおおむね成立している。

では、その比喩的表現で何を伝えようとしているのか。それは間接的誘導であり、つまり婉曲的な勧誘義務命令の伝達であると推測できる。「かもね」という婉曲的な発言もこれを後押ししている。つまり

「Aしないと×××っちゃうかもね」

 =「×××っちゃうというのは明らかに言い過ぎで冗談だけど、でも×××っちゃうのは嫌でしょう?」

 =「(だから)Aするのが良いと思うよ(するべきだ、しなさい)」

ということ。たとえば、彼女に「浮気したら殺すからねー、なんちゃって」と言われて、「じゃあ浮気をする可能性のある私はあなたに殺される可能性が高いということですね」と返すヤツはいない。(この文脈で「殺す」という発言が、言葉通りの行動の遂行意志の表出であるという可能性は限りなく低く、普通に考えれば「浮気しないでよね」という依頼の比喩的表現であると推測すべき。)それと同じ。

従ってそれを「真に受けた」発言の方が誤っており、誤っているばかりかその発言は「あなたの勧誘・義務・命令にかかわらず、私はそのようなことをする意志を持たない」という言明になっており、情況に鑑みて適切な対応とは言い難い。さらに付け加えると、そのように「AでなければB」という思考自体が批判の対象になっているわけであって、先方のそのあとの応答自体は同じこと(そういう思考法は止めた方がいいのではないかor止めるべきだor止めなさい)の繰り返しに過ぎない。「あなた」の対応は、レトリカルには全く無矛盾であって、おかしいのは元増田の方。

…と、ネタかもしれない話に全力で空気読め無いマジレス

記事への反応 -
  • 「僕は、タテマエとか社交辞令とかは嫌いなんです」 「本音と建前を使い分けられないと社会では居場所がないかもしれないわね」 「それが真実なら、僕には居場所がないですね」 「そ...

    • 「僕は、タテマエとか社交辞令とかは嫌いなんです」 「本音と建前を使い分けられないと社会では居場所がないかもしれないわね」 「それが真実なら、僕には居場所がないですね」 ...

    • 実話?たとえ?わからないけど。 多分その人はグレイゾーンを増やせば楽になるよ、と言いたかったのだろうけど、確かに追い詰めるような言い方かもしれないね。 建前や社交辞令が嫌...

      • http://anond.hatelabo.jp/20080107211957 なんだか優しい人がいる。 半分あてつけっぽく書いたら親切な反応が返ってきた。ありがとう。 完全ではないけど内容はほぼ実話だよ。

        • 少しでも気が安らいだら何より。 嘘や社交辞令がどうしても受け入れられない人はほんとにたくさん知っている。 でも魅力的な人は多いし、好きだよ。居場所はたくさんある。大丈夫。

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