2007-12-27

普通になりたいっていう願いはあった

http://anond.hatelabo.jp/20071227091759

普通になりたい」と願うことはよくありましたね。そのときにいってる「普通」があなたと同じものかどうかはわからないけど。自分の周縁の不安定さにどうしていいのかわからないことがありました。そのときぼくがイメージしていた「普通」っていうのは、「不安におびえることなく自然人生を楽しめること」だったと思います。

でも結局、ぼくの場合は20いくつでなんとかなりましたね。不安がぴたりとおさまりました。ああ、これがオトナになることか、と思いました。

ぼくは、人生やりくりするのにはだいたい、自分との関係、人との関係、自分がやることとの関係、の三つをうまく制御できれば十分だと思っています。

ぼくの場合、自分との関係は、いろいろな哲学の本を読んだりして、考えてなんとかなるところは整理して、なんともならないところはなんともならないもんだとタカをくくったらすっきりしました。

人との関係は、中学の頃からなんとかまわりとの関係をうまくやりくりしようと積極的に学んでいると、テクニックが身について、なんとかなるようになりました。いまでは結構人付き合いもよいほうになったと思います。

でも、最終的に自分が安定したのは、自分がやっていくことをしっかり決めたときでしたね。自分はなにがあろうがこれだけはやり遂げるんだというものがはっきりと見えたとき、他の二つの関係も含めて、すべてが安定しました。

自分が何をやっていくべきか、というコアがみえていると、それに関連することだけがしっかりしていれば、人との関係なんてどうでもいいやと思えるようになったのです。

まわりの人の話をきいていても、自分が何をやっていくべきか、具体的には何を自分の仕事とするか、ということではっきりとコアがみえていないひとほど、人との関係というものに影響をうけて不安定になりがちなようにかんじます。仕事なんかでも、「なにをやっていきたいの」と聞いて、「ひとと関われる仕事」という風に答えるひとは特にこういう傾向がつよいように思います。仕事で「やること」自体に価値をみいだせないひとほど、「仕事で出会う人との関係」に価値を見いだそうとする。しかし、それは「やること」とちがって努力に比例してパフォーマンスが向上するようなものではないので、不安定になる。

これはあくまでぼくの場合の話です。あなたへの回答というよりはひとりごとにちかいものですが、何らかの参考になればとおもって書かせていただきました。

記事への反応 -
  • なんか自分が普通じゃないと思ったのは中学生の頃だった。当時は邪気眼こそないものの、それはまさしく中二病であって間もなく鎮火、大学生になる頃にはいかに世の中を取り入れるか...

    • http://anond.hatelabo.jp/20071227091759 「普通になりたい」ということを願うことはよくありましたね。そのときにいってる「普通」があなたと同じものかどうかはわからないけど。自分の周縁の...

      • http://anond.hatelabo.jp/20071227091759 について http://anond.hatelabo.jp/20071227101340 はぼんやりした投げかけの相手してくれてありがとう。いい人だね。 でも、他で言及されたのも見るにやはりという...

    • 1行でまとめてくれ

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