2007-12-17

XMLという存在への懐疑はWWWの今後への懐疑である。

XMLという存在への懐疑は、WWWの今後への懐疑である。

そして、誰もこれを懐疑することを否定も肯定もできない。

そして、「WWWは正しいか?」という問いかけをすることも否定も肯定もできない。

が、インフラとなった技術存在意義を懐疑されない。

OSもそう。コンパイラもそう。

人工言語プログラミング言語)の自然言語日本語英語等)への影響がどんどん大きくなっていく。

そろそろ、その意味を考えなければならない。

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