教育議論はいつも子どもをないがしろにして進む
詰め込みだなんだと批判を浴びせられても、先生は俺達に懸命に教えてくれた。俺達は懸命にそれを学んだ。勉強を通して、仲間と競い合う喜びを知った。勉強する動機はなんだって良かった。動機を見つけることが動機だった。学習内容も本当はどうでも良かったのかもしれない。ただ目の前の問題を解いて、試験をこなして、友達と答えを確認しあっていた時間が、ひどく健全だったように思う。あれだけ健やかな時間は、もう過ごせないかもしれない。思い出すたびに懐かしく思う。今の教育議論にはそんなセンチメンタリズムが無い。
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