読んでいるかどうかわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
綺麗事を実践においても綺麗事に終わらせまいとするおまえさんの理想主義は、実のところ嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「はしごたんと友達になりたい」のエントリは、すげえ“熱い”メッセージだと思う。正直言って、ちょっと感動した。
でもな。
複雑怪奇な世の中の事象連関の中では、熱い理想がしばしば予想もしなかった影響を世界に及ぼして、当初の予期を裏切るような結果をもたらしてしまうという事だって、やっぱりあるんだ。
これは、別に理想が悪いっていう話じゃない。どんな理想だって、それが人間の頭の中で概念的に考えだされたものである以上、その理想と現実との間で齟齬が生まれうる可能性を完全に排除することは、決して出来ないんだ。
その昔、カール・マルクスという奴が、やっぱりかなり熱い理想を掲げていた。挫折したと言われている今だって、その理想の可能性を救い上げ、形を変えて新たに生かしてみようと考える人間が少なからずいるくらいだ。
でもその再評価は、
「この理想は、完璧に正しく現実に適用されれば、決して現実との間に思わぬ齟齬を起こして予想外の結果を招くようなことは、あるはずがない」
などということを含意して行なわれているわけじゃない。
いいかMasaoさんよ、よく聞けよ。
ここで身を引くことは、もしかしたら抱いてきた理想の挫折だと思っているかもしれない。
でもな、理想っていうのは決して全てに対して万能の解決を生み出すわけじゃない。どんな理想だって、この運命を避けることは出来ないんだ。
もしここで、むりやり理想を通そうとして、現実に君の隣にいる人を傷つけたりしたとしたら、それは果たして生きている人を救う英雄的行為だと言えるんだろうか。俺の目にはむしろ、抽象概念(理想)によって生きている人間の生(君の隣の人)を傷つけるようにしか見えないぞ。
世界は広い。広いからこそ、理想を生かす道も見出せるし、逆に理想が思わぬところで躓くこともある。世界は、躓きの石を事前に全て見通すことが出来ないくらいに広い。同時に世界は、理想がいずれ意外なところで活用できることを期待できるほどにも広い。
まあ、無茶だけはするなよ。