相撲ファンの目を離れて外の目から見れば。
いくら強かろうと巡業サボった朝青龍はクビでよくね? となるし、「かわいがり」で死亡した斉藤某とかなんですぐに司法解剖に持って行かないの? となるし、八百長だって逆に何でブックがあっちゃいけないの? という話になるし、高額売買が指摘される親方株だって別にそんなの要らないっていうか何で引退してからじゃないと指導できないの現役力士でも強ければ道場持てばいいじゃん(昔で言う二枚鑑札)という話になる。
でさ、このへんはもういっそ外の感覚に合わせてしまえばいいと思うんだ。
# その際協会寄付行為で「解散時の財産の帰属は類似の公益団体に」とあるから、一旦は文部省傘下の公益法人が全株を保有し、しかる後に随時民間に売却することになろう。
これで理事会^h^h^h取締役会の「上」に株主総会ができるので親方どもの好き勝手にはできなくなるし、そもそも取締役に力士出身者がつくことも困難になろう。
で、NHKも必ずしも全場所中継しないようにする。逆に言えば、(株)大相撲は放映権に関するフリーハンドを得、従来の不透明な座席手配よりも放映権の売りさばきによる収益をメインにするようになろう。
しかも、株主の目に加えて放映権者の目がある以上、殺人とか暴行なんて決定的なスキャンダルは自粛せられるだろう。暴力団とのスキャンダルで放映権売れなくなって衰亡した某団体を教訓にするならば。
でだ。面白ければ八百長もアリにするのだ。八百長相撲を「自然」に見せるにはそれはそれで高度な技術がいる、ということは彼の「中盆」板井も強調するところであるし、実際八百長云々は関係なしに「千代の富士時代」の相撲は格闘技興行として面白かった。一概に害悪と切って捨てるのは勿体ない。
但し、それは力士間の不透明な売買ではなく、(株)大相撲のブックメーカーが定めた「ブック」「ギミック」に基づくものでなければならない。力士間に「ストーリー」を設定して遣ってもいいし、「ヒール」「ベビーフェイス」を設定してやる。もちろんガチを貫く力士が居るならブックメーカーはそれすら尊重してブックを立てることが望まれる。
もちろん力士はレスラーよろしく、簡単に「脱退」したり「(株)大相撲とは別の組織を結成」したり「復帰」したり「ガチを標榜する新競技を主張」したりするようになるだろう。「プロレス化」するだろう。
で、それで何か「見る側にとって」問題があるの?
それは相撲ファンの見たい相撲じゃなくプロレスファンの見たいプロレスだろ…。