2007-09-15

学生時代

中高と、どちらかというと学校へ行きたくなくて、早く家帰りたいとか早く卒業したいとかそんな事ばっかり考えていて、高校生時などなんちゃって鬱、なんちゃって自殺願望みたいなのまで持ってたというのに、今その頃を思い返してみると、楽しかった思い出しか浮かばない。もう一度あの時代を送りたいなんて思っている。当時は、そんな事を考えるなんてありえないと思っていたのに。

別に今が嫌な訳じゃない。

でも当時の、あの「クラス」という独特のつながり、修学旅行遠足時の独特の興奮、友達とのバカ騒ぎ。今思い返すと、それらが煌きまくっている。あれらは、あの当時だけのものだったんだろうか。これからはもう、体験できないのだろうか?そう思うと、少し悲しい。

あんなに学生生活に対して積極的でなかった自分でさえも、今思い返すほどにはそれらの思い出が出来ている。なら、もっと、積極的に、変にシャイにならずに、友達をめいっぱいつくって、自分に素直になって、もっと学生らしく遊べばよかった(ついでに勉強も)、とつい考えてしまう。いわゆる「あの頃に戻りたい」ってやつか。当時は、色々、素直じゃなかったし、なんというか自分の感情に対して不器用だった。今ならそんな自分への対処法もまだ若干分かる。何せ一度通った道だ、今あの頃をやり直せるとしたらもっといい学生生活が送れるに違いないと、思う。

思うが、しかし、それが「あの頃」だったんだろう。そんな不器用さ、素直でなさ、中二病さ、痛々しさ、そういうのをひっくるめて不恰好に生きたのが、「あの頃」だった。だから後悔はしない。あの頃はあの頃なりに必死だった。やるべきことを全てやったわけでも、自分の思う通り生きたわけでもない。でもそう言うの全てを含めたのが「あの頃」だったのだ。青春時代ってのは、華々しいものじゃなくて、寧ろそういう……今思えばもっとちゃんとできたのにという後悔をしそうになるような、ダークで、ブラックな面がある。もともとそういうものなのだと思うと、後悔はしなくなった。ドラゴン桜だったか、学生時代は、満腹感より飢餓感だという言葉があったが、あんな感じだ。そもそもそういうものであるのだから、仕方が無い。

ただ、あの頃のような喜び、独特のドキドキを味わいたくは、あるが。

小学生の時の、無限人生が続くような感覚。煌く未来が待っているあの感覚。中学生高校生時の、クラスの感覚。友達の感覚。遠足前日や修学旅行の感覚。今思うと1,2年などあっという間だが、当時の1年の、あの長さの感覚。

それらが実に愛おしい。

いつからか、そういう独特の「ドキドキ」を感じなくなっていた。

いや、感じないように、多分してきたのだ。

いちいち感じていたら、身が持たないから。少しの事では動じないように、そういったドキドキを感じなくなった。当時はそっちの方がいいと感じていた。今は、昔の方がいいと思う。少しの事でもドキドキしたりワクワクしたり、心が動くあの感じ。自分を護衛するかわりに失ったあの感覚を、自分の護衛を捨て去る事でもう一度手に入れたい。

人生に対して、無防備になる感覚。

悲しければ悲しみ、怒りたければ怒る。全て全力投球だった。全て重大な人生の事柄だった。

今だって同じだ。今ここでこうして生きている事が自分の人生。今これが人生。今人生を味わっている途中なんだ。なら、出来るだけ、様々な味見をしたい。守りにはいって、自分を護衛して、半分死んだようになって淡々生きるより、貪欲に人生を味わいたいと思う。そうしている最中なら、多分、いつ死んだって、かまわない。そんな気がする。

無防備にさらけ出す勇気を。守りに入らない勇気を。

時に、今こうしているのも「人生の一部」であるという事実を、何故か忘れてしまう。

今これが人生ならば。できるだけ楽しんで死んでやりたい。

あと10日で死ぬなら、否応なくそう言う気持ちになるだろうが、何十年という半端な単位は、人を護りに入らせる。

だからといって、インド自分探しのたびへ、とかいいたいわけじゃない。いや、そうしたい人はそうすればいいが。

精神的な問題だ。守りに入らず、常に「死」を横に寝かせて考える。死にたい、とかではなく。いつか死ぬ。その感覚を。いつかこの肉体も停止し、朽ち果て、土の一部になる。そういう意識を日頃から持つ。出来うる限りで楽しんでやろう。せっかくこの世界に神が自由時間を数十年与えてくれたのだから。

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