しかし、日本人が信教の自由を語る時はどうしても宗教の布教活動は信教の自由を侵害していると語られる。しかし本当にそうか?
憲法では布教活動の自由と布教を断る自由の両方が認められていて、その二つを合わせて信教の自由なのだ。
これは布教活動の自由競争という意味であり、その自由競争に国家権力は介入しないという意味である。
こんな論がまかり通るのは布教を受けて立つ側が弱くて自分を相手と対等な立場で見れない自分を底辺の被害者側にしたいからだ。
だから言いたい。布教行為を受けたら偏った憲法解釈なんて持ち出して守りに入るのではなく、ガチンコ勝負で自分の宗教観をキッチリ語れるように常日頃から磨くべき。そして、論破しようが返り討ちにあおうが泣かない。あと、遁走はありだと思うよ。
信仰の自由、宗教の自由でなく、信教の自由の権利となっているのは、信仰・宗教を持たないこともまた自由だからだと聞いた。 あと、宗教の布教活動が侵害していると指摘される権利...