2才の息子が引き戸のレールにレゴとかきれいに並べたりしてる。
階段の縁の滑り止めのくぼみにビー球を並べたりしてる。
それを妻が片付けようとするとそのままにしておけと言うんだそうだ。
「何が面白いんだか全然わかんない。」と妻は言うが、俺には何となくわかるんだよなー、そういうの。
同性だからなのか、男の子はみんなそんなもんなのか、その辺はよくわからないけど、息子を見てるといちいち共感するんだよね。「うんうん。わかるわかる。」って。
妻は息子を見ててもそういうのはないんだそうだ。
子供を持つとわかるんだけど、「子供は勝手に育つもの」ってのは、ありゃウソだ。
あれは育児に疲れすぎてる母親に言うための治療薬みたいなもんであって、間違っても育児に積極的でない旦那が妻に言うべき言葉ではないから増田のみんなは覚えておけ。
生まれてすぐ動き回れて母親のおっぱいにたどり着ける子馬や子猫や子犬とはワケが違う。
寝返りうてるようになるのにも時間が掛かるんだから。
そのくらい、いわば真っ白な状態で生まれてくる子供が、なんにも教えていないのになんか自分と似たような好みだったりするってのは、もう本当にうれしくてしょうがない。
以心伝心どころじゃないんだよ。
伝える必要もなく共感できる存在なんだよ。わかる?
で、ここでふと自分の親父のことを考えてみた。
俺と息子がこんなにも共感できるんだから、親父とも共感できてて当然じゃないかって。
俺が2歳のとき、親父も俺を見てそう思っていたんじゃないかって。
親父はもう死んでいるから確認のしようが無いけど、それを考えたらなんかちょっと切なくなった。
こんなことを考える直前まで、俺と親父との間に以心伝心を超えた共感があるなんてことはこれっぽっちも考えたことが無いから。
むしろ、親父を見て、ああはなりたくないなって思ってたりしたからから。
なもんだから、息子もやがて自分を見て、ああはなりたくないなって思ったりするんだろうかと思っちゃった。
そしてその時、俺はまさに、その親父と同じ立場になるじゃないか!
息子を見ていると、自分、そして親父が重なって見えてくるようになった。
同時に、今の両親のことも覚えておいて損は無い。
それはやがて自分が通る道であり、自分の子供が通る道なんだ。
これが血の繋がりってやつなのかなって思った。
うちの三歳の息子は、良くないところばかり似やがって困るですよ。