後方支援中に撃たれて死亡したらしい。
SATは死ぬような危険のところに派遣される以上本人及び家族は前々から覚悟していたであろうに、メディアの報道は、同情的過ぎると思う。
極論だとは思うが、SATは死ぬものだと思う。
まるちゃんじゃないんだけどさ、愛って恋だけじゃないんだよね。
でも無宗教国家日本じゃ愛は恋しかなくて、恋愛至上主義になっちゃうんじゃないかな?
宗教ってもっと軽い物なんだけどな。恋みたいな物だよ。
そりゃ、盲目になったり嫉妬したりする事もあるだろうけどさ、基本は愛なんだよ。
そのためにはまず出会いだよね。
家に籠ってないでちょっと出かけてみようよ。
夏に向かってすてきな出会いを見つけてみようよ。
もっと気楽に、素直に。ちょっとお寺とか教会覗いてみようよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070520120904
http://anond.hatelabo.jp/20070520120913
書き方が悪かったかも。
卑下している訳ではないのです。
人間なんて生きている意味なんて無いそれを見出すのが人生という考えがありますので。
私の場合は愛を失った人間なのでそれ以外の事に生の意味を求めている生方をしてます。
生の意味を見出している対象に対する態度を愛と言うのかも知れませんがちょっと違うと思いますし。
http://anond.hatelabo.jp/20070520121203
私の場合は不義の子ではないですけど両親にとって私って望まれた誕生ではなかったので祝福はされてないですね。
「なるほどぉ! ××さんって凄い方なんですねー(笑)」
「褒めても何もでないよ(笑) ◎◎さんも僕の後を継ぐべく頑張ってよね」
「××さんには敵わないと思いますけど(笑)
いえ、そんなこと言っちゃだめですね。抜かすつもりで(笑)がんばります(笑)」
「そうそう。若いんだから(笑)がんばってもらわないとね! ◎◎さんはきっと出来ると僕は思ってるしさ(笑)」
「えー、ほんとですかぁ? なんで笑うんですかそこでー」
飲み会なんて楽なもんだよな。
許される許されないの話じゃないよな。
だから、いかにして「生きる意味」を錯覚するか、が問題になる。
「愛」は最も強力な錯覚だよ。
愛、愛、愛ってお気楽いってるんじゃないよ。
愛を見出せないと生きていくことを許されないのか?
って反発を感じるあたり私はやはりどこか壊れているのだろう。
世に出て与えられるのは祝福のみ。
時と場所によってはそれすらも与えられない。
よくわからん感覚だけど。
好きでも嫌いでもなく、特別に思うこともない。
長い付き合いだからそれなりの人間関係を構築している、というだけの気がする。
いちど失ってみたらわかるのだろうか。
それも良いかもしれない。
本能には、「死ぬな」とは書かれているけど、「生きろ」とは書かれてないんだよな。
祖父ちゃんが死んだとき
なんでもっと近くにいてやれなかったのだろう?
なんでもっと孝行できなかったのだろう?
なんで死んでしまったんだろう?
そんな考えばかり浮かんで、ただただ「ごめんなさい」と泣きながら葬儀に参加していました。
大切なものは失ってから気がつくって言うけど、まさしくその通りだなって思ったよ。
当然の日常が変わるという事
いつもの事がいつもの事ではなくなる事
失恋に似ているのかも知れない。
ただ、もしかしたら、とう希望すらない。他人として出会う事すらない。
もう、思い出でしか存在し得ない、世の中の数少ない絶対である事の一つ。
http://anond.hatelabo.jp/20070520111612
身近な人の死というと10歳の頃、母方の祖母の死に立ち会った時が初めてだけど
亡くなる数年から寝たきりだったせいで「とうとう逝ってしまった」感が強くて衝撃は無かった。
しかし恋人が目の前で死んだ事は7年経っても私の心に影を落としている。
ひねくれ者な私にとことん付き合ってくれた相棒だったので、やっと見つけた自分の半身をごっそり喪った感じ。
段々記憶が摩滅して恋人の姿、声をおぼろげにしか思い出せないけれど、恋人のことを想うと普通に結婚して家族を持つなんて事が出来ない。
後ろ向きな生き方と自覚はしているけれど。
他人の死というと死体なんてそこらに転がっている場所で仕事したこともあって普通の人より慣れすぎているきらいはあるかも。
ちょっと追記しました。