私「この前、駅を歩いていたら女性と男性が腕を組んで歩いていたんだけど
女性には左手の薬指に指輪があって、男性にはなかったの!不倫かな?あれは。」
私「左手の薬指には、婚約指輪や結婚指輪をはめるのではないのですか!?」
彼「指輪を男性から女性への贈るときには左手薬指だと思うけど。」
私「でも、私の周囲では、恋人からの贈り物だったら右手の薬指にはめる人が多いよ。」
彼「そういうこともあるかもね。」
私・彼「・・・。」
私・彼「ははは(笑)」
ちょっとドキドキした今日の会話。
無難でつまらない生き方をするならMarcoの言うことに耳を貸す必要はないんじゃない?
はてなをやめてそれこそ公務員試験の勉強でもしたほうが幸せになれるよ。
そういう生き方に耐えられない人はMarcoの言うことを聞いてもいい。
自家発電
http://anond.hatelabo.jp/20070513213312
自主トレ
http://anond.hatelabo.jp/20070513214811
ソロ活動
羨ましい。
俺は忙しければ忙しいほど荒廃してしまう。
しまいには全部投げ出したくなる。
なんなんだろうね。「忙しいけど充実」って人は、自分の好きなことを忙しく行っているということなんだろうか。
でもそんな状況ってよっぽどラッキーじゃなきゃ生まれないと思うんだが。
佐藤藍子?
個人的な経験では、人気が出ても、増えた露出に気を取られて、
自分は知ってるから他の人が知ってても不思議じゃないし。
「ブレイクした」ってどうやって気付くもの?
その感情を「古参チマン」と呼ぼうという運動です。
http://anond.hatelabo.jp/20070506011710
優越感というか、何を今更言ってんだお前らというか、そんなもん書いて飯の種になるなんて楽な商売だなとか、
そういう感情全部ひっくるめて、古参チマン。
俺は自主トレと呼んでた。
僕は読解力がない。そう思うんだよ、増田の兄弟。
あのエントリーのどこを読めば、新古書批判になるのか分からない。
オチで「まぁ、僕の本なんかが流通するなんて笑っちゃうよね。新品どころか中古でだって、ぷぷぷ。焚書じゃんフツー」
っていうジョークでしょう。
本屋さんやってて、わざわざ森博嗣のエッセイをチェックしてたりするほど森博嗣の芸風を知ってそうな人間が、
あんなのに対して怒ってみせる。マジギレした態度をとってみせる。
あのさー。森博嗣のエントリーなんてあの著作権論を聞いてもらうためのフックじゃん、どう考えても。
「僕の本なんて、燃やしちゃえよ」ってジョークでいってる人に対して、マジギレ。
どう読んだら、こう解釈できるんだろう。本当に頭悪い僕に教えてよ、増田。
http://anond.hatelabo.jp/20070513205451
旅烏さんの批判
http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20070512/1178981031
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/08/index.php
ブレイクしたアーティストとか、アニメ化したマンガとか、人気が出てきたクラシック演奏家とか、そういう人の話題が出ると「有名になる前から知ってた。好きだった。有名になる前から良いと思っていた」と言う人がいる。
有名にしたマスコミを批判したいのか、
有名になる前から知ってた俺は勝ち組と言いたいだけなのかよくわからん。
有名になったからこそ、その人・作品のよさを知って好きになった人が増えた。それでいいじゃないか。
そういうことを言う人の気持ちがわからなくなった。
そういう文章を見つけて、嫌な気分になったので書いた。
以前自分が「前から知ってる優越感」を感じていたのに、それに反感を覚えるとは。
http://anond.hatelabo.jp/20070513211358
私はそれにすごい古参チマンを感じる。
コピペにマジレスをすることは、2chではおおむね禁忌とされている。
「釣り」という文化・概念が浸透する以前から、この不文律は存在したと記憶している。
この理由ってのは、「もう終わった話題であって、論ずるのが無駄だから」というような、
古参チマンに近い感情をくすぐるからではないかと。
深く考えないで捨てるように書く - 自分を語りたがらない人々
この人にとっては恐らく当たり前すぎて与件の事となっているのだと思うのだけれど、「自分を語りたがらない人々」と言うのは、「俺、自分語りとかしたくないんだよねー」などとは軽々しく言わない人々の事だと思う。
と言う事はつまり、より正確に言うのであれば、
「自分を語りたがらない人々」
と言うのは、
「自分を語りたがらない(ように外部からは見える)人々」
ではないだろうか?
自分はよく周りから「~~って自分の話をしないよね」と言われるタイプなのだけれど、これは相手によってはっきり変わる。
自分の事を話す相手もいるし、話さない相手もいる。
その基準と言うのは、自分の内部的なものよりも、その人から「~~は自分の話をしないタイプだ」と思われているか否かであるように思える。
実際はどうあれ、僕たちはまず外見を見て、内面を見る。
そしてその中間に、外部に発露しているその人固有のアフォーダンス、言ってみればオーラのようなものを無意識的・感覚的に感じるフェーズがあるように思う。
そしてそれは、コミュニケーションの在り方に実はかなり影響を及ぼしている気がしてならない。
話しかけにくいように見える人は、実際にはどうあれ、そう思っている時点で、そう思われている事を感じた時点で「話しかけにくい人」になってしまうのではないのだろうか。
少なくとも自分はそう言うタイプだ。
なんかまとまってないし上手く言語化できないのだけど、分かってもらえるかなぁ、この感じ。。。