映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。
マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。
アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムかエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。
美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。
つまり、特定の作家(ないし作品)に依存した資本の運動にとりこまれた一定の層が、自分たちがまるで作品を通じて世界と繋がれたかのように勘違いできた幸運な時代を、言葉によってなんとか歴史化しよう、正当化しよう、再現しよう、復興しようetcという涙ぐましい世代的運動、これが日本における「批評」なのである。それ以上でもそれ以下でもない。普遍的なものとしての「批評的価値」なんてない、ということは知っておいて欲しい。批評を語る側にも読む側にも。
http://anond.hatelabo.jp/20070408073302 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 "思春期"の部分は学生って書こうぜ。
美少女ゲーム界隈には"終わらない思春期"を生きている人が多いからなぁ・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20070408073302 これ読んでてちょっと違うことを考えた。別にこの手の世代論は批評の文脈に限らず、かなりコミュニケーションにおいて、汎用的なものだと思う。 思春...