2007-03-17

目押し

メガネをかけるようになって、それまでうすぼんやりとしていた世界の細々とした部分が見えるようになってきた。認識の仕方が変わったというべきだろうか。それまで見過ごしていた様々なものが妙にクリアなものとして映るようになった、ということだ。例えば通勤のために電車に乗っていると、高速で通り過ぎていく景色の中にある看板ビル道路、場合によっては人々の姿まで、この目で捉えられるようになってきた。

目押し、という技術があるらしい。スロットマシンなどでドラムが高速で回転する、その回転の中から絵柄を捉えてそれをストップさせられるように動体視力を鍛える、というものだ。自分はパチスロはやらないし興味もないのだけど、メガネをかけ始めたのをきっかけに何かの話の種になればと思って電車の窓から様々なものを見続けることにした。先に述べた看板ビルの姿はよりはっきりと捉えられるようになった。何の看板かだけではなく、その脇に書かれている電話番号も読めるようになった。実際に問い合わせを装ってかけてみたこともあり、確かにそのお店に繋がったことを確認出来たことは本当に嬉しかった。

一番見届けるのが難しいのは、建物の中にいる人間の姿だ。例えばマンションアパートに住んでいる人々の姿。誰もそうだと思うのだけど、そうして生活している人間は外に自分の暮らしを開けっ広げにしたりしない。まずはベランダに干してある布団や洗濯物の色を見極めるところから始めた。そして次第にタイミングを掴む。行きも帰りも同じ電車に乗っているのだから、建物が登場するタイミングを見極めるのはそう難しくない。次第に人の姿を掴めるようになってきた。これなら目押しに挑んでみても面白いかもしれない。

そうしてトレーニングを始めたある日、私はいつものように外を見ているとちょうど公園にさしかかったところで一人の女性を見てしまった。樹木の下にいたその女性は首が異常に長く伸び、足がブラブラと足場を失って揺れている。首吊りだ。私は嫌なものを見てしまったと思ったのだけど、目を離すことは出来なかった。その時、本当に一瞬だけなのだけど、その女性と目が合った。表情はなかった。死んでいるのだから当然かもしれない。だが、私の目は確かに彼女を捉えていた。しくじった、と私は思った。

それからもう風景を見るのは止めようかと思ったのだが、目を逸らすために書物に集中していてもあるポイント差し掛かると痛いほど強い視線を感じるようになった。もちろんその自殺ポイントだ。私は彼女を見つけた日と前後する日付の新聞記事を探して自殺の記事を探したのだが、載っていなかった。もしかしたらずっとあのようにして、肉体を失っても吊り下がったままで電車の方を見ていたのかもしれない。だとすれば、彼女目押しが出来る、ということか! あの電車に乗っている限り、私は彼女の的確な視線から逃げられない、ということだ。しかし他の通勤手段を使えば高くつくので、錯覚であると自分を誤魔化して電車に乗り続けていた。彼女の視線は次第に強くなった。ふと顔を上げると、彼女はこちらに近付いてきているように感じられた。そして、見ている時間も長くなっているようにも。電車の窓ガラス一杯に顔を押し付け彼女の姿を想像すると、背筋が凍った。

ある日、自分の家に帰ると彼女がいた。首は長くなかった。生前の姿のままで現れた、ということなのだろう。もう私の人生はお終いだ。輪郭のぼやけた彼女の姿から目を逸らせなくなって、私は文字通り腰が抜けてへたり込んでしまった。彼女は私に向かって、「私を見てくれてありがとう。これ、プレゼント」と言って、あるものを差し出した。それは「CR新世紀エヴァンゲリオンセカンドインパクトパチスロ新世紀エヴァンゲリオン」だった。それ以来、私は別にパチスロに実際に行くわけでもないのにそのゲームソフトをわざわざプレイステーション2を買ってやり続けている。なかなか奥が深いものだ。

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