2007-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20070125062059

抽象で考えることができる領域が広いのはすごいことだが、抽象のままアウトプットに失敗しているのは能力が高いと評価できるか疑問だ。

論文を書くときや人に説明するときは、共通の枠組みとして多くの場合ロジックが使われる。だから自分の頭の中で抽象的に考えたことをいかにうまく論理に載せ代えることができるか、というのは一つの能力になるのだ。まぁ、いかに理解しやすい説明をできるか、という話になるのだが。

つまり、一口に能力が優れているというときでも、

  1. 膨大な抽象思考を行える
  2. 考察した内容を理解しやすく説明する

という別個の能力に分解できる。

高度な抽象思考を行えても、それを相手に理解できる形で提供できなければ評価されない。「何を言っているんだ?」とキチガイの一人として処理されるかもしれない。

だからなんだ、というと、元ネタの記事が理解しにくい文章だ、ということだ。個別の事柄に関するメモがあるだけで、結局何を言いたいのか明確ではない。文章にトピックセンテンスがない。「ふむ。個別の事柄については分かった。で、それらのことから何が言いたいの?」というメッセージの要の部分がない。理解できなかった、というだけだ。

ひょっとして、元ネタの記事は単なるノートだったのかもしれない。そう考えれば、文章として発散しまっくっていることに関して理解しやすい、かな。

記事への反応 -
  • みんな、思考をするときは抽象から入って具体に落とし込むんだと思うけど、この文章のアラン・ケイは抽象だけで語ってる感がある。 抽象と具体というのは、たとえばワープロソフト...

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