アリストテレスが固定した自然界の万物を構成する4つの基本要素、「地、水、火、風」の4大エレメントの思想は、やがて錬金術を生み出した。
地が暖まると火となり、地が湿ると水となる。寒く乾いたものが地。暖かさと湿り気を兼ね備えたものが風。
全ての物質はこの4大エレメントから構成されて、その比率を人為的に変更することで、卑金属を貴金属に変えようというのが錬金術の基本思想。
物質世界は正方形をしていて、その4つの頂点にはそれぞれのエレメントが立っている。
正方形世界で重要な物質は、すべて「エッジ」に集まっている。3つ以上のエレメントが混じってしまったり、対立しないエレメントが混じった夾雑物は、全部「面」の上。
世界のほとんどは夾雑物からできていて、錬金術師はそこから純粋な物質だけを取り出して「エッジ」を目指し、そこから「頂点」にいたる道筋を追い求める。
幻想文学というのは、錬金術師が書いた文学、あるいは純粋な物質だけで作った物語だ。
幻想文学世界観の中では、世界を構成する基本要素は「鉱物、人形、屍体、少女」。
少女と少年とは交換可能なもの。この世界では、「大人」は夾雑物として取り除かれるか、あるいは矮小な「畸形」としてのみ存在を許される。
奈須きのこの新作「DDD」は、幻想文学の世界観を正しく受け継いだ物語。
狂言回しは畸形。主人公は少年と人形のハイブリッド。他にも鉱物の属性を持った公安官とか、人形の属性を持った敵役とか。
通常世界での「大人」は、物語世界では存在意義を持たないか、あるいは意義を持った存在に処理されるためだけに存在を許される。過剰な装飾とグロテスクさに満ちた病院や、主人公の住む部屋の描写。とても正しい幻想文学世界。
純粋な物質だけでできた登場人物が、その能力の全てを挙げて混沌に打ち込む、賛成と反対とを同時に望み、重力によって下降すると同時に飛翔したいと望んで叫び続けるようなバロック的な精神の世界が、幻想物語を駆動する原動力になる。
あれだけきれいな世界観で物語をはじめてくれたんだから、やっぱり全ての登場人物にはどこか狂っていてほしいな、というのが読者としての願い。物語の筋なんてどうでもいいから、もっと狂ってほしい。美しい被造物には、理性なんて似つかわしくない。
以前見にいった「恋月姫人形」の展覧会には、純化するのに失敗した生き物多数。
ああいう人形趣味というのは、生活に疲れた50代後半の男性、「屍体属性を持った畸形」のためのもの。
魂吸われそうなぐらいにきれいなビスクドールと、すでに吸われてしまったのか、何時間も人形みたいに固まってしまった観客の人、何人か。この世界に存在を許されるのは、ここまで。
なんだか黒くてギラギラした服を着て、横方向にやたらと成長が進んだ、煮豚に韓国ノリを巻きつけたようなその生き物の群れは、4つのエレメントの混和をどう失敗したらこんなになるんだか。あれでみんなの目が虚ろだったりしたら、モンスターとしての存在意義もありそうなんだけれど。
菌糸類秋の味覚師匠の小説はちゃんと読んでないので知らんけど、その幻想文学世界観狭すぎね? 幻想文学世界観というより、澁澤龍彦の好きなもの羅列とかっぽい。