2006-11-18

「一匹殺せば虐待だが100万匹の死は保健所の数字だ」と誰かが言った

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061118i104.htm?from=rss

  • 主張1:「猫を殺すのは動物が可哀想だし虐待だ」
  • 主張2:「その反論については認めよう。だが、私は市民社会精神的安定ということに基づいて議論をしているのである。動物に対する虐待が公の眼に晒されるような社会は、健全な社会とは言えないし、健全な一市民である私にとって不快である」
    • 反論2A:「快不快は個人の勝手価値観に過ぎないし、市民社会の安定性という概念恣意的なものである。不快であるのならば、それを見ないで済むようなシステムを作ればいいだけのことだ」
      • 再反論2A:「そのような『見ないで済むシステム』が蔓延するような断片化された社会は不健全である。社会が成り立つためには何らかの磐石な共同性と共通の道徳が必要となるし、そのためには動物虐待が公にされるような道徳を肯定するわけにはいかない」
    • 反論2B:「不快であったとしても、それをあなたは見なくてはならない。なぜなら実際に世の中で殺されている動物の数は、報道されている虐待の比ではないし、あなたが見ようと見まいと事実として動物は殺されているのだから」
      • 再反論2B:「確かに事実として動物が殺されていることはその通りだが、その例証として個人による楽しみ半分の虐待を持ち出すのは正当ではない。個人による虐待と、保健所動物実験によって殺される動物の話は別の問題である。その二つの間に線を引くことこそが、道徳倫理社会性の拠って立つべき基盤だ」
  • http://anond.hatelabo.jp/20061118143544 何故保健所で大量の尊い命が奪われるのかを考えればわかる。 保健所が殺しているのではない。そこに持ち込みをする「飼い主」がいるのである。 もしくは、

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