はてなキーワード: トリとは
10代の頃、「さみしい」とか「暇」とかの意味するところがわからなかった。どこへでも
1人で楽しく歩き回った。世界は未知の物でいっぱいだった。学校の勉強というのは
「未知」へのトリガーを見つける練習で、1人で歩き回っても退屈せずに済むためにあるようだった。
20代の頃、「さみしい」自分に突然遭遇した。泣いたり怒ったり落ち込んだり、忙しくなった。
既知の場所が満たされたり空白になったりすることにばかり踊らされた。
で、30代に入って何年か経って、突然、何か知らんが全部どうでもよくなった。良い意味で。
全身に重力を感じて仁王立ちになっている感覚だ。「さみしい」感情はむしろ増幅の一途なのに、
どこをどう歩いていても、不思議と浮き足立たない。
10代の頃と比べて物の見方が変わった意識はない。友人に笑われるほど、ガキの頃のまんまだ。
とすると、歳を取るという「身体的な変化」からきたのだろうか? あの頃悩まなくとも、
歳を取れば解決したことなのか? 我ながらあっけにとられている。
こうなりかけてる今、一番さみしく感じるのは、理由も無くさみしさに悩まなくなっていくそのこと。
『過去のくだらない悩みだった』、と当時の自分とその感情を笑い飛ばす人もいる。
『若い時はよくそういう風に悩むんだよね』と分かったようなことをいう人もいる。
『幼いからだ。早く大人になれ』と見下す人もいる(これを見下しと感じることが幼いと言われそうだけど)。
しかし私はどれもするつもりにならない。
さみしさに鈍感になってしまったことが、一番さみしく切なく悲しい。それすら心に響かないが。