2010-08-12

カルトを抜けるということ

 別に、具体的に特定のどこかを想定した話じゃない、というエクスキューズをとりあえず書いた上で、と。

 洗脳の恐ろしさとかサンクコストとかはもちろんやっかいなんだけど、も一つやっかいなのが「人間関係」なのよね。当然ながら組織内のメンバー同士の間には身内同士で改めて布教するわけはないんで普通に人付き合いが成立してるし、友情も同志愛もあるし、入ってくる年齢層や階層なんかによっては、男女のカップルが成立してるケースもあって、そういう状況である日「目が醒めた。俺は抜ける」と発言するとどうなるか、はまぁ想像に難くはないところ。

 そういう横のつながりもあるし、さらにやっかいなのが縦。まずは自分をその道に引きずり込んだ「先輩会員」。往々にしてその人には日頃から組織の活動以外の局面でも世話になってるの。なので、「俺が抜ける」イコール「先輩の顔に泥を塗る」なのよね。客観的に外から見ればその先輩って「俺」を騙してカルトに引き込んだ「詐欺加害者」なんだが、義理人情浪花節文化圏で育つと、なかなかそうは割り切れないのよね。

 で、先輩が問題なら当然に後輩も問題。この場合の後輩とは「俺が騙して引き込んだ犠牲者」なのだ。いやもう、その責任について真面目に考えはじめると、いまでも夜中に飛び起きるね。

  • 発想が根本的に間違っているんじゃないの。騙すにしろ暴力にしろ自分のところに引き込む途中で「カルトを抜ける」ように見える行動をとる被害者には一切の落ち度がないわけで、抜...

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