すべての意味であこがれだった男の子が、先日わたしに対して「お前要らない」と言ったので
どう好きだったかを書こうと思います。
・愛されていた
→ おとうさんもおかあさんも妙な宗教とか、変なお金儲けの団体にかかわってなかった
→ ごはんがおいしかった
→ 何も聞かなかった
→ それでも気にしてくれてた
→ 寛容だった
他人だったからというのもあるのだろうけれど、好きな人の育った家庭は、わたしがどんな人間かは無関心で
わたしが生きてることにだけ関心があった。すごく助かった。
ほかにもいっぱいあるけど、これだけについて書きたい。
手先に血が通わなくて、はきそうなほどしんどい夜に、ふらふらと行くと、ごはんをくれた。
お金がなくて服が買えなくて、外にあんまり出たくないときにワンピースをくれた。まだ着てる。
誰か一緒にテレビをみてくだらないことを言いたい夜に、一緒にテレビをみてくれた。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
わたしの家は、お父さんは変な宗教と妙なものを売ってリターンをもらう会社にかかわって、
生命保険を売るついでに浄水器を売って、注意した上司にブチきれて左遷されたり、
お母さんは「それでもおとうさんは働いてるからえらい」と言い続けるだけのひとで
妹はもう家に帰ってこなかった。
普通の家ってこんななんだと思った。
成人式に君のおかあさんがわたしに晴れ着を用意してくれたのがうれしかった。
君の家から君の家に、嫁に行きたかった。
わたしは君に振られてから、君と君の家族をなくした。
たぶんわたしは、これから誰かを好きになることはあっても、家庭をつくることはできないと思う。
何を作ったらいいのか知らないから。
でも、心の一番大事なところに、君と君の家族がいる。
ああいうひとたちがわたしの人生に一瞬でもかかわってくれたことを喜びながら
わたしはゴミみたいなわたしの居場所へもどる。
正しいですよ。
まあようするに「わたしを選ばなかったんだからその分幸せにならねぇと殺す」ということが言いたかったのですが
もうどうでもいいです。
いまは辛いかと思いますが、 ぜったいまた自分から愛したくなる人出てきますよ。
幸せの意味とか知りませんけど。 しってんじゃん。 幸せの意味を。 普通の家ってこんななんだと思った。 成人式に君のおかあさんがわたしに晴れ着を用意してくれたのがうれしか...