日本は勉強・スポーツ・芸能などいずれの分野においても特別、取り柄を見出せない人物でも、
何も持たない人間でも「清く正しく美しく」を標榜してさえいれば、評価してあげる風潮がある。
だから無才でも「真面目に生きる」という事ぐらいはできるから、誇りを持って生きていける術がある。
同時に、才能のある人間には人格者であることを強く要求してきたから、プロアスリートなどは一般的に「努力が大事」「慈愛の心で」という演出を自らに課して、
無才の誇りを維持してあげることに一役買ってきた。国母和宏という子は、才能があるくせに優等生を演じなかったわけ。
真面目に、実直堅実に生きてそれを自分の唯一の勲章として生きている無才からしたら、才能のある人間が品行方正でないまま成功するなんてことは許せないはず。
国母を朝青龍、17歳を外国人に変えてもそのまま通じる気がする