しかし、それは得てして美徳である、と思う。
実直であることの有難味をひしと感じるのは歳をとったからか。
私は長いことピエロとして生きてしまった。
自分を直視せず、相手を直視せず、全てを笑いのネタとして流してきた。
周囲に迎合することに囚われすぎて、
ボロという名の本心を出すことを恐れすぎて、
本心自体を持たなくなっていた。
器用に生きる人を、気配りの出来過ぎた人を見ると
身構えてしまうのはたぶんその所為だ。
仮面の内側がわからないのが、無性に恐ろしい。
急に距離が縮まった感じがして、安心するのだ。
相手にやはり中身があったことに安堵するのだ。
ボロを出してもいい相手だと、自分が信用された気がするからだ。
一方で不器用に実直に生き続ける人々は。
日々困難に真正面から立ち向かい、
ボロボロになりながら戦い続けている。
もう少し器用に生きればいいのにと思いながら、
私は応援し続けるしかない。
頑張れなんて、絶対に言わない。かける言葉はTake careだ。
頑張らずに生きることができない人。
頑張っていることを隠さずにいられない人。
頑張っていることを隠すことができない人。
そして、頑張りたいけど頑張れない人。
いろんな人がいていろんな人生がある。
みんな何かと戦っている。
私は、戦うのに疲れた、頑張ることを放棄した人間だ。
自殺こそしないが、生きているとは言いにくい。
ただ呼吸して、摂取して、排泄して。
私もいつかまた戦える日が来るだろうか。
いつか戦いたいと思うなら、また生きられるような気がする。
まずは、中身を作ろうと思う。
できれば実直な中身でありたい。